日本経営管理教育協会が見る中国 第687回 ――楠田貴康

1.日本的品質管理は、何を伝えたか

 1980年代、日本のものづくりが優れていると世界中で評判になり、多くの外国人が日本に勉強に来ました。当時は、日本製品が世界を席巻していたころです。ちょうど私も1983年に企業に勤め始めています。当時、外国との取引も盛んになってきており、貿易を専門にする職種も生まれてきていたように記憶します。今から考えますと日本企業が成長していた時代だと振り返って思います。当時は、日本的品質管理が背景にあり、デミング賞に挑戦する企業が多かった時期でもあります。

 日本的品質管理に貢献された3名の方がいらっしゃいます。石川馨氏、西堀栄三郎氏、唐津一氏らです。彼らは、品質管理を日本へ提唱し、広めてきました。3名の方を少しご紹介します。

 石川馨氏は、品質管理・サンプリングそして工業標準化など多岐に渡って取り組まれています。 中でも日本的品質管理の構築、 QCサークル活動、管理図法などでは創造的な仕事を進められました。 これらの活動は、国内だけにとどまらず広く、世界各国に及び大きな足跡を残しています。日本の品質管理の発展史そのものだといっても過言ではないと思います。

 西堀榮三郎氏は、日本の登山家、無機化学者、技術者であり、第一次南極越冬隊の隊長を務めました。統計的品質管理手法を日本の産業界に持ち込み、デミング賞や電電公社総裁賞を受賞し、戦後日本の飛躍的な工業発展の礎を築きました。不良品をつくることをやめる方法を提唱した方です。滋賀県東近江市には「西堀榮三郎記念探検の殿堂」があります。

 唐津一氏は、松下電器産業(現パナソニック)創業者の故松下幸之助氏に誘われ、61年に日本電信電話公社(現NTT)から松下通信工業に移籍、78年から常務を務め、86年から東海大教授。QC(品質管理)やものづくりに関する著作を多く残しています。

 第二次大戦後、日本のモノづくりの非弱さが問題とされ、アメリカから統計的品質管理の指導を受けたのが日本の品質管理の始まりです。指導を受けた先駆者達が日本的品質管理(全員参加の品質管理)へと発展させました。そのための工夫がQCサークルであり、QC7つ道具です。西堀栄三郎氏は全員参加のためにモチベーションの大切さを訴え、唐津一氏は、バラツキ改善を主張しています。唐津一氏は、当時の日本製品を、欧米に比べ、バラツキが小さく工程能力Cpが高いため、故障も少ないと評価していました。彼は、規格を満足すればよいという考え方ではなく、中心を極めるという日本人の気質がよい品質を生み出していると考察したのです。

 品質管理の先駆者たちは、統計的品質管理の概念と全く反対の方向、つまり規格で切るのではなく改善を進め製品実力をつけることを提唱してきたのです。

2.実際現場で起きていたこと

 トヨタの指導を受けて標準作業組み合わせ表を使った改善活動に取り組んだことがあります。顧客から要求された製品を1つ造るのに必要となる時間に合わせて作業の流れを作ります。

 例えば、1個の製品についてある加工が完了する時間を計ってみます。当然、毎回時間はばらついてきます。ばらついた時にその原因を追究し、そのバラツキを改善していきます。これを繰り返す内にばらつきは小さくなり、平均の時間も短くなっていきます。愚直な活動ですが、効果のある要因を見つけるのではなく、1つひとつのバラツキ、例外事項、異常に対して、効果は小さくても地道に潰していくことが結局は急がば回れで効果に結び付いていくのです。唐津一氏は、平均で物事を判断するなといっています。ひとつ一つのバラツキの原因を、事実を確認して潰していくことが大切といっています。これが、日本的品質管理の原点であったと思います。このアプローチでは、事実把握がその解決のキーとなります。

 作業設計は、人によるばらつきを抑えるために作業者を機械のように扱うとして批判的な意見を言う人は多いようです。しかし、本質は、作業設計により人のバラツキを抑えることではなく、設計した後の作業について人が行う改善を愚直に続けることにあります。一つひとつのバラツキの改善は、事実を掴めば、誰でもできます。改善活動に現場の誰もが参加して積極的に進めていける環境づくりを行うことに意味があります。ここまでくるとバラツキ改善の考え方を忠実に進めていると言えるのです。改善活動はスポーツと同じで達成感を味わえる魅力があります。全員参加の改善は、人を大切にする取り組みでもあると思っています。(写真は、企業の品質不正問題。提供:日本経営管理教育協会)