19世紀後半、アジア諸国は軒並み欧米列強の植民地となったが、日本は植民地化を逃れることができたばかりか、列強の仲間入りを果たしている。これはなぜなのだろうか。中国メディアの快資訊はこのほど、なぜ近代のアジアで日本だけが列強になれたのかと問いかける記事を掲載した。

 記事ではいくつかの要因を挙げているが、まず1つ目に「運が良かった」ことがあると主張。日本のすぐ隣に、没落していたとはいえ巨大な経済体の清があったおかげで、列強諸国の注意がまず清に集中したと主張。このため、いわば「清が日本の盾」となり、日本は侵略されずに済んだとしている。
 
 また、江戸末期には列強の開国要求に対し、「武士道精神をなんら発揮することなく開国に応じた」ことで国力を温存できたからだと主張。実際には、ペリーの黒船来航以降、幕府の対応に対して攘夷運動が盛んになっており、生麦事件やその後の薩英戦争、さらには下関戦争なども起きているが、記事はそのことには触れていない。

 さらに、明治維新後に徹底した「西洋化」を進めたことも大きな要因だと分析。清の「洋務運動」の方が明治維新より早かったものの、洋務運動は封建制度を維持したうえで支配層を救うための運動だったのに対し、日本は西洋に倣って進んだ制度を導入したため成功したと説明した。このほか、「思想」という面でも清では根深い封建思想が改革を阻害したが、日本は思想の転換が早かったと分析。これは「日本は強者に学ぶ文化だから」だと分析している。

 別の要因として「改革の広さと深さ」に違いがあったと指摘。清では支配層が改革の必要性を意識したに過ぎず、大多数の国民は「傍観者」に過ぎなかったという。一方、日本は全国に学校を設立して国民を教育したと紹介。国民に改革への参加を奨励し、産業システムへ国民を組み込むことで改革の受益者とし、その結果、国民の支持を得ることができたと論じた。記事の分析の是非はともかく、当時の日本はアジアのなかでも特別な存在だったことは間違いなさそうだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)