新型コロナ感染拡大により延期された東京五輪・パラリンピックだが、海外からの一般客の受け入れ断念が正式に決まったと報じられた。決定に時間がかかったのは、延期にしても海外客の受け入れにしても意見が分かれ、難しい判断だったためだろう。中国メディアの百家号は19日、「東京五輪で日本が揺れている」とする記事を掲載し、日本は「あまりに運が悪く、可哀想になってきた」と伝えている。

 日本は東京五輪の開催に向けて莫大な投資を行ってきたが、開催直前になって新型コロナウイルスのパンデミックが発生し、それ以降は新型コロナに翻弄される日々が続いてきた。記事は、東京五輪開催に対する日本の国民感情について、コロナ禍の前はかなり団結していたと紹介。開催が決定した当初は75%が賛成しているとの調査もあった。国民感情が一変したのは言うまでもなく新型コロナが原因だが、日本はなぜこれほど「揺れて」いるのだろうか。

 記事はまず、コロナ禍により「政府と国民感情との間」に温度差が生まれ、どんどん差が大きくなっていったと指摘。「ソフト」な感染症対策をしながらも、経済的理由からできるだけ「華々しく開催したい」政府に国民がついて行けていないと分析した。実際、無観客での開催は大損失となり、中止になればさらに大きな損失になる。しかし、多くの国民は感染拡大を危惧しており、記事は「日本政府の気持ちも、日本国民の気持ちも分かる」と、双方に理解を示した。

 別の理由には、日本人の「オリンピックへの特別な感情」も考えられるとした。日本人にとっては、1964年に開催された東京五輪は復興の象徴である。あれから半世紀、日本は様々な災難に見舞われた。今回のオリンピックも復興の象徴となるはずだったため、断念すべきという気持ちとあきらめたくない気持ちとの間で揺れているのだろう、と主張した。

 記事からは、五輪開催という国を挙げての一大イベントにコロナ禍が重なってしまった日本への同情と、中国にはない「揺れる思い」を不思議がる感情が伝わってくる。これが中国であれば、国民感情はわきに置いて決断し、断行するのだろう。コロナ対策といい、五輪開催といい、これが民主主義と社会主義の違いなのかもしれない。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)