かつて清国は西欧列強から「眠れる獅子」として恐れられていたが、最終的には滅亡に追い込まれた。一方、日本は明治維新を成し遂げ、アジアで唯一、列強に名を連ねるようになった。中国メディアの快資訊は27日、当時の日本が台頭できた理由について分析する記事を掲載した。3つの要因が関係しているという。

 記事が挙げた1つ目の要因が幕末に発生した「生麦事件」だ。馬に乗った英国人4人が薩摩藩主の父・島津久光の大名行列を横切ったため、無礼な行為として薩摩藩士が切りかかり3人を死傷させた事件だが、これが「薩英戦争」を引き起こした。一つの雄藩に過ぎなかった薩摩藩が英国相手に勇敢に戦い、英国は多くの死傷者を出したことから、列強は日本に対する見方を改めたと説明した。

 2つ目は、英国の外交官であるアーネスト・サトウの著作「英国策論」の影響だという。もともとジャパン・タイムズに匿名で寄稿した3つの記事だったが、これが和訳されて広く読まれるようになった。そのなかで徳川将軍は主権者ではないので、英国は天皇と新たに条約を結ぶべきと主張しており、この内容が明治維新に大きな影響を与えたとしている。

 3つ目は、「教育を重視したこと」で、これまであった「寺子屋」を基に多くの学校を設立して義務教育を普及させたと紹介。これにより古い思想を短期間で捨てつつ、新しい思想をもとに西洋化を進めることができたと分析した。

 最後に記事は、日本のすごいところは実際のところ「武士道精神」ではなく、「教育と学習の決意であり、強い意志のもと改革を断行したこと」が大きかったと結んでいる。当時の日本が急速な発展を実現できた要因はほかにも多くあると思われるが、教育が重要な部分を占めていたことは間違いないだろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)