中国のポータルサイト・百度に25日、「抗日戦争中、日本人はどうして孫文の墓である中山陵を破壊しなかったのか」とする記事が掲載された。

 記事は、中国近代化の父・孫文の墓である中山陵は中国人にとって非常に大きな存在であると紹介。当時の日本軍は「もし中山陵を破壊したら対中政策を進める上で不利になる。蒋介石が日本と和平に向けた交渉を行う意思を持っていたとしても、中山陵の破壊によって交渉が実現不可能になるかもしれない」と認識していたとの見方を示した。

 そして、当時の日本はゆくゆくは中国を自らの掌中に収めようという野心を抱く一方で、現状の実力では急速に中国全土を占領することは不可能だともはっきり認識していたため「できるだけ多くの領土を得つつ、中国との全面的な戦争を避けてようとしていた」と考察。日中全面戦争へと発展するきっかけになった1937年の第2次上海事変も、日本としては中国をちょっと懲らしめるつもりだったものの、中国側の抵抗が予想以上に強かったため、日本軍は上海の兵士を次々と増員し、大規模な戦闘状態に至ったのだとしている。

 その上で「日本は常に、国民政府と交渉の上で合意を結びたかった。それはあくまでその都度和議を結ぶことで段階的に中国の領土割譲を狙おうとしたものだったが、もし中山陵を破壊してしまったら、和議の道が完全に閉ざされることになり、日本側の思惑が実現できなくなってしまうと考えたのだ」と説明した。

 記事は、「では孫文一人の墓の破壊をためらったのに、なぜ南京では大虐殺を起こしたのか」という疑問を持つ人がいるとした上で、その理由を第2次世界大戦末期の日本と米国を例に挙げて解説。「日本は米国に大爆撃を許して数十万人の国民を犠牲にする一方で、天皇だけは守った。そして米国が爆撃の際に天皇の住居を狙わなかったのは、将来の交渉の可能性を残すためだった。中山陵のケースも、これと類似しているのだ」と論じた。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)