日本政府は、2020年をめどに「留学生30万人計画」を目標として掲げてきたが、留学生数は順調に推移し、2019年にはすでに目標を達成していたほどだ。この多くを中国人が占めていたが、日本には過去にも大勢の中国人留学生を受け入れていた時期がある。中国メディアの快資訊は16日、「日清戦争後、なぜ日本は清からの留学生が軍事学校に入ることを許可したのか」と題する記事を掲載した。

 軍事学校が、戦後に戦った相手国から留学生を大勢受け入れるというのは普通であれば考えられないことである。記事は、日清戦争後に清で留学がブームになった際、日本は近さと費用、文化の類似性などから留学先として選ばれやすかったと紹介。それに、洋務運動で失敗した清とは違い、日本は西洋から学ぶのに成功しており、日清戦争で負けた清がその強さを実感し、日本から学ぼうとしたのは自然な流れだったとした。

 清の若者が日本から学びたいと思うのが自然なことだったとしても、不思議なのは「なぜ日本の軍事学校が受け入れたのか」という部分だ。記事は、日本も当初は受け入れるつもりはなかったと紹介。しかし「清政府の求めに応じる形」で受け入れる方向に転換したと伝えた。

 記事によると、日本側としても「清を親日にしたい」という計算が働いたのではないかと主張。日本に感化された若者が清に戻れば、大陸に親日家を広めることになると踏み、また実際にある程度成功したと伝えている。士官学校に日本から教官を大勢招き、学校の制度も雰囲気も日本の軍事学校を倣い、清末期から民国時代の数十年に渡り、日本は中国の軍事面に影響を与えたと伝えた。

 このブームに乗って日本の「東京振武学校」に留学した人物は、国民党の指導者・蒋介石や、共産党を設立した陳独秀、護国戦争を発動した蔡鍔(さいがく)などがおり、波乱の歴史で中心的な役割を担うことになる。「日本の思惑」がどれほど達成されたかは別として、日本留学のブームが近代中国に大きな影響を与えたのは事実だろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)