明治維新をきっかけに近代国家として歩み始めた日本に対し、清王朝ではいち早く洋務運動が起きたものの、近代化に成功することはなく、滅亡の道を辿った。なぜ当時の日本は中国と違って大きな発展を遂げることができたのだろうか。中国メディアの百家号は4日、「日本はどのようにして弱者から強者への変身を遂げたのか」と問いかける記事を掲載した。日本と西洋諸国、特に英国との関係性から分析している。

 記事は、日本は明治維新後に西洋から文化や技術などありとあらゆることを徹底的に学び、近代化に成功したばかりか、「白人以外の国として初めて列強の仲間入りを果たした」と紹介。その理由を分析した。

 記事によると、日本の発展には英国が大きく寄与したという。当初は日本を軽蔑していた英国だが、生麦事件で英国人死者を出したことに続き、薩英戦争で薩摩藩は古い武器で勇敢に戦い、英国は思いがけず60人以上の死者を出したため、日本に対する見方を改めるようになったという。その後の下関戦争での長州の勇敢さにも列強各国は驚かされたと伝えた。

 こうした日本の強い抵抗のため、日本は武力で抑えこむより手を組んだほうが良いと英国は判断したと記事は分析。薩長を支援して倒幕を助け、友人としてではなくあくまで自らの利益のために日本に手を差し伸べたという。そのおかげもあり、日本は明治維新で徹底的な変化を遂げ、「資源の乏しい遅れた島国から東洋の獅子になった」と伝えている。

 日本は第2次世界大戦で敗戦するが、それでも戦後の廃墟からわずか23年で世界第2位の経済大国となるまでの「奇跡的な復興を果たした」と記事は紹介。バブル経済とその後の崩壊を経験するも、失われた20年といわれる時期に製造業重視にシフトチェンジすることで、「国際競争におけるアジアの誇り」に返り咲いたと称賛した。

 記事は最後に、日本のこうした成功は「1に教育、2に教育、3に教育のおかげ」と分析。江戸時代の寺小屋から始まり、日本は貧しかった戦後の時期でさえ常に教育には惜しみなく投資してきたと称賛し、日本がかつて学んだ英国、ドイツ、中国の唐や清のどの国も日本の教育重視には敵わないと締めくくっている。日本がここまで強くなったのは、なるべくしてなったと言えるのかもしれない。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)