日本経営管理教育協会がみる中国 第606回 ――三好康司

 中国湖北省武漢市を中心に新型コロナウイルスが猛威をふるっている。日本経済新聞2月1日付朝刊によると、わが国は湖北省に2週間以内に滞在歴のある外国人と、湖北省発行の中国旅券を所持する外国人は、特段の事情がない限り当分の間、入国を拒否すると表明したとのことである。私は、前職時代、約25年間、毎年武漢を訪問していた。その時の事を思い出した。

1.武漢での業務のきっかけ

 私は前職の総合商社(双日)に1985年(昭和60年)に入社、繊維部門に配属となった。為替相場は大きく円高にふれ、繊維業界でも輸入の機運が高まり、中国は繊維産業の生産拠点として脚光を浴びつつあった。そんな中、私の上司が中国最大の展示会である広州交易会に参加し、湖北省武漢市の企業と出会った。取引先である企業が中国への生産移管を考えており、双日として中国でのパートナー探しをしていた。武漢での試験生産が始まり、そのプロジェクトに、私も参加することになった。

2.武漢への初訪問

 私が初めて武漢を訪問したのは、1987年(昭和62年)だったと記憶する。大阪空港から上海空港で飛行機を乗り換え、武漢空港に降り立った。第一印象は「小さな田舎空港」であったことを今でも覚えている。入国審査を終え空港を出ると、湖北省の公司の方が迎えに来てくれていた。自動車に乗り工場へ、約3時間のドライブである。工場は仙桃市という地域にあったが、当時は高速道路もなく、工場に近づくにつれ、道路わきに豚や鶏がウロウロしているのに驚いた。初訪問時は、その後25年間、武漢に行くことになるとは思いもよらなかった。

3.武漢での観光

 武漢の業務は、順調に大きくなっていった。空港は大きくなり、街もきれいになった。また、豚や鶏が歩いていた工場への道のりも高速道路で快適に行けるようになった。武漢に行った時は仕事ばかりでほとんど観光もしていないが、そんな中、唯一観光した場所が「黄鶴楼」である。伝承であるが、この場所にあった酒屋に毎日仙人がやって来てお酒を飲ませてもらっていた。ある時、仙人が「今までの酒代を払うお金がない」といって壁に黄色い鶴を描いて帰った。その後、来店者が宴席で手拍子を打つと、壁の黄色い鶴が舞い、それが大評判になり、酒屋の主人は巨万の富を築いた。その後、仙人が再びやって来て、笛を吹くと壁から黄色い鶴が抜け出し、仙人は鶴の背に乗って去っていた。酒屋の主人は、それを記念しこの場に楼閣を築き、「黄鶴楼」と名付けたとのことである。

 そんな思い出のある武漢で、新型コロナウイルスが流行している。当時お世話になった方々も住んでおり、非常に心配である。早く、ウイルスが収束することを願ってやまない。(写真は、武漢 黄鶴楼(中国駐大阪観光代表処ホームページより))