日本経営管理教育協会がみる中国 第590回 ――坂本晃

◆満鉄アジア号など1945年終戦以前

 1825年、イギリスで第2次産業革命の産物、蒸気機関を利用した蒸気機関車が実用になった結果、「ストックトン・ダーリントン鉄道」が世界最初の鉄道事業として開業した。日本ではイギリスに遅れて47年後、1872年に新橋~横浜間29kmが官営鉄道として開業、東海道線が新橋~神戸間で全通したのは更に17年後1889年であった。

 日本が1868年江戸時代から民権政治を標榜する明治維新を迎え、欧米先進国を見習い、富国強兵を国是に、日清、日露の戦争に勝利した。その結果、現在の中国東北地方、旧満州といわれた地域を実質的には植民地の満州国を独立させ、その経済開発に南満州鉄道株式会社が活用された。

 中国は日本に遅れること4年1876年に、実質的にはイギリスの手で、上海~呉淞鎮間14.5kmの鉄道が開業した。中国東北地方の鉄道はロシアが経営した東省鉄道が1903年に中国とロシアとの国境、満州里から綏芬河までと南満支線として途中のハルピンから大連経由旅順まで同年に開業した。

 その翌年1904年、日露戦争に日本が勝利し、その鉄道営業権益が日本のものとなり、その経営に南満州鉄道株式会社「通称満鉄」が当たることになった。日本の鉄道技術が注がれ、最高時速130kmの蒸気機関車による特急「アジア号」は、冷暖房完備の専用客車を牽引し、1934年に大連~新京(現在の長春)間で営業開始、翌1935年にはハルピンまで延長、1942年の時刻表によると大連09:00発、ハルピン22:51着であった。戦況悪化に伴い1943年には営業を停止し、再開はされなかった。

 満鉄は日本に併合された朝鮮や日中戦争の日本の占領地、中国本土の鉄道とも連携し、東京から北京まで、関釜連絡線を経由して2回の乗換で行くことができた時代もあった。

◆1945年終戦後から中華人民共和国成立

 1945年、ソ連参戦による満州国崩壊後、満州の主要な産業施設を撤去してソ連へ持ち帰る作業が一段落すると、ソ連は1946年春までに当時の中華民国に満州を引き渡し、撤退した。

 1945年に中国共産党の実質的最高地位についた毛沢東は、蒋介石率いる中華民国と対立し、国共内戦状態が1949年の中華人民共和国の成立まで継続した。

 この間の旧満鉄施設の鉄道経営がどのよに行われたかの資料は日本では見当たらなかった。100万人以上の日本人が主に葫芦島から引揚に際しては旧満鉄の鉄道が使用され、国共内戦時代でも鉄道は人々の生活に欠かせない必要であった筈であり、旧満鉄の日本人も相当数留用されて従事し、運営されていたことは事実である。

◆中国高速鉄道誕生から現在まで

 1949年10月1日に中華人民共和国は成立し、国の政策から鉄道は国有で経営され、経済成長の基盤として鉄道網と道路網の建設は貢献した。

 2000年の中国時刻表によると、アジア号のような大連午前発~ハルピン夜着の列車はなく、その先まで運行する列車、大連12:38発~ハルピン02:17着~さらに牡丹江8:24着といった列車がある。この時代は北京~ハルピンが主流であるが、北京より遠方からハルピンより先へ行く列車も多かった。

 世界的な技術革新の成果を取り入れて、中国産の蒸気機関車の製造が始まり、ディーゼル機関車や電気機関車、客車も国産化し、在来線の電化や複線化を進めた。フランスのTGV、日本の新幹線による高速鉄道の技術も導入し、新しい高速鉄道網、在来線とは別に新線を建設する方式で建設、和諧号など高速鉄道車両も国産化した。

 2008年には北京~天津間が中国初の高速鉄道として開業、その後四縦四横路線が完成、さらには八縦八横路線の建設が、内需拡大の基本政策に従って経済発展の基礎として、進行中である。

 写真掲載の中国でハワイと呼ばれる海南島を一周する在来線とは別線の高速鉄道が開業しており、2017年11月訪問時に利用できた。

 2019年の時刻表によると、大連北~ハルピン西の高速鉄道は、09:11発13:42着とアジア号の3倍の速度で営業運転しており、80年あまりの時の経過を実感できる。(写真は、海南島の高速鉄道陵水駅にて和諧号。提供:日本経営管理教育協会)