日本経営管理教育協会が見る中国 第581回 ――下崎寛

 7月23日から4日間、樺太サハリンの視察に行ってきた。

 樺太サハリンは、天気は悪く、北海道の北に位置していることから、冬は寒く雪が深いために、経済活動ができる時期が、5月から9月までと北海道と同じように短い。そのため、道路工事等はこの時期に集中することから、行ってみたら、やたら工事中で、街を歩くにも困難であった。

 工事の内容を見ていると外国人労働者が多い。特に、ウズベキスタン等の出稼ぎ労働者が多いという。ロシア人は最近の日本人と同様に、3K仕事(建物工事、道路工事、清掃等)は、外国人労働者任せである。

 人口は、1994年ピーク時で80万人いたが、現在では40万人と半減している。面積は北海道と同じくらいだが、人口は北海道旭川市(38万人)とほぼ同程度である。
 
 1人当たりの平均賃金は、普通のサラリーマンで月給14万円程度である。この数字は、日本、韓国の60%程度であり、経済的に厳しい。なお、樺太サハリンの北方オホーツ海域で2013年から米国、日本の投資により天然ガス、石油が発掘され、天然資源が豊富にあり、今後の経済が発展する可能性が高い。

 樺太サハリンと日本の関係は、1905年日露戦争で北緯50度以南の部分と千島列島が日本の領土となり、1945年の敗戦により、ソ連の領土となった。

 もともと、樺太サハリンは、ロシアの流刑地であり極東の辺鄙な地でもあり、未開発の地であった。それが、日本の領土となった途端、日本は森林資源に着目し、製紙工場を9カ所開設し、戦前は、経済が発展していた。その労働力として、日本人をはじめ朝鮮人が来た。

 1944年には日本人・朝鮮人が40万人程度居住していたといわれ、現在の樺太サハリンの人口ほどになっていた。

 しかし、敗戦により、日本人は米ソ協定により帰国できたが、朝鮮人は日本人ではないためその協定には適用ならず、ソ連の思惑として労働力欲しさのために朝鮮人の帰国は認められなかった。戦後、日本統治から在留していたサハリン在樺韓国人3万人、戦後北朝鮮から労働目的として入国してきた北朝鮮人1万人ほど居住していたといわれている。

 今回の視察にガイドとしてアテンドしてもらった叔母さんも1940年生まれの在樺韓国人であり、日本語、朝鮮語、ロシア語が堪能な人であった。その苦労話を聞くと、兄弟が6人おり、日本統治には親は炭鉱で働き貧しく、戦後まもなく、お父さんは炭鉱事故で働けなくなり、お母さんは闇市場で物を売っていたが、ソ連の警察に捕まり、悲観して自殺したという、とても聞くに堪えられない苦労をしたとのことであった。今では、兄弟は、ロシア人と結婚したりして、平穏な生活を享受しているとのことであった。

 樺太サハリンには、旧日本の博物館、役所、銀行等の建物が壊されず利用されていた。その理由としては、日本人の建築物は、壊れにくく、長持ちするといるといわれている。また、極東では、従来ロシア政府からの十分な予算配分がなく、経済的に貧窮しており、建物を建築する予算に不足していたという。特に、1987年のペレストロイカ(リストラ)以降の時代は、何もできなかったという。

 日本においては北方領土返還の問題があるが、領土の所有権は棚上げし、ロシア人は効率的に働くことが苦手らしいので、日本人の英知により樺太サハリンを復興すべきである。(写真は、旧樺太庁博物館。提供:日本経営管理教育協会)