日本経営管理教育協会がみる中国 第576回 ――坂本晃

◆2011年3月11日(金)14時46分地震発生

 そのとき、私は東京ビックサイトで開催されていた建築関係の展示会に行くために、東京高速臨海鉄道りんかい線に乗車し、地下20mぐらいの「東京テレポート」駅に停車していた。停車後わずかしてなぜか車体が通常とは異なる揺れを感じた。

 だれか悪さをして車体を揺らしているのかと思っていたが、なかなか揺れが収まらず、ドアを閉められる気配もなかった。しばらくして運転ができなくなったので、降りて欲しいとの車内放送があり、ホームに降りるとかすかな揺れを感じた。

 ホームからの改札へ上がるエスカレータは異常なく動いていた。改札をでて、お台場の方へ向かうとなんとなく騒がしかった。ビーナスフォートの広場では大勢のお客が建物から出されて広場に集まっていた。トイレに行きたくなったので、案内を請うと入れてもらえた。

 予定の東京ビックサイトへ一駅歩いて向かう途中で余震を感じた。後ろを見るとかなり遠くに火災が見えた。携帯でテレビを見て宮城県沖の地震と解った。

 ビックサイトのイベントは中止され、参加者が外に出され、たどりついた会場は後始末の最中だった。

◆その後帰宅まで

 すべての交通機関は止まっていたので、仕方なく皆が向かう晴海方向に歩いた。途中で建設中の豊洲市場の脇を通り晴海まで行くと、都バスが停車しており、四谷方向に運行するとのことで、銀座4丁目まで乗った。銀座は通常の様子であったが、地下鉄などは止まっていた。途中のコンビニの弁当などは売り切れていた。

 その後京橋まで歩き、次の予定の場所へ行ったが、その会場は閉鎖され、参加予定者は誰もいなかった。辛うじて途中の営業していた中華料理店で夕食を取り、運転を開始した地下鉄などで自宅に戻れた。

◆津波などのテレビ放送

 マグニチュード9.0と日本の観測史上最大であったと報道され、CM放送は中止、各局とも特別番組編成が当面継続した。津波の恐ろしさは繰り返し放送された。その後、救援活動やボランティア情報など、福島原発停止で、計画停電の実施、交通機関本数の削減、節電の呼びかけなどが思い出である。

◆2011年7月1日(金)気仙沼など訪問

 1995年1月17日(火)5時46分マグニチュード7.2阪神淡路大震災の後、同年4月九州の帰りに、山陽新幹線が姫路止まりのときに、取りあえず被災地を通り、被害の実態を拝見し、報道だけでなく現場を観るべきと感じたものである。

 東日本大震災の後を見るべく、被災地のひとつであった気仙沼を訪問、陸地の奥まで津波で打ち上げられた大型漁船を目の当たりにし、津波の威力を実感した。

◆2019年7月27日(木)に3月に全通した三陸鉄道全線乗車

 テレビ報道やネットで被災地の当初や現在も見られるが、再度復興の現地を見たいと考え、2019年3月23日(土)にJR東日本から移譲された旧山田線と合わせて第3セクターの鉄道としては最長となる163kmを営業する三陸鉄道の全線を乗車してきた。

 北側ではJR東日本の八戸線が普段は空席が多いと思われるが、今回は多くの個人観光客が乗車され、かなりの方が1時間半の全線を立たされていた。久慈から乗り継いだ三陸鉄道でも、バスと合わせた団体旅行客も含めて、かなりの方が途中駅まで立たされるなど盛況であった。

◆「恋し浜」へ観光を

 被災地の沿線では、仮説住宅は車窓からなくなり、戸建ての復興住宅や集合住宅の建設が完了、海岸には新設された大規模な堤防が各所で見られる。

 写真の「恋し浜」駅は、小石浜から地元の希望で駅名が変更され、ホタテ貝の貝殻に、絵馬のように願い事を書くということで多くの観光客が訪問しているという。

 個人旅行になりつつある中国からの観光客の目的地のひとつとして、災害の恐ろしさの経験と復興の参考として訪問して欲しいものである。(写真は、三陸鉄道恋し浜駅名標。提供:日本経営管理教育協会)