中国メディア・東方網は11日、モンゴル人が36年かかってやっと手に入れ、日本人は7年かかっても落とせなかった「中国最難関」の地として、直轄地の1つである重慶を紹介する記事を掲載した。

 記事は、「中国の歴史は実は戦乱の歴史であり、古代から現在に至るまで中国という土地では数知れないほどの戦乱が発生した」と紹介。その中で最も難攻不落だった都市が南西地域に存在する重慶であるとし、古くより「蜀の道は青天に登るより難しい」と言われてきたことを伝えた。

 そのうえでまず、モンゴル族の侵攻から実に36年もの間耐え抜いたというエピソードについて言及。南宋時代に北方で台頭したモンゴル族は周辺の有力な国を次々滅ぼして鉄騎隊を携えて南下、南宋を滅ぼす足がかりとして重慶の釣魚城の攻略にかかったが、城を守っていた宋の大将・王堅率いる防御軍は数十万の大軍を相手に城を堅固に守り、36年という時間を流れさせたと説明した。

 そして、南宋が滅ぼされた後も釣魚城は陥落していなかったが、もはや守る意味を失った防御軍はフビライによる「投降すれば民は傷つけない」という説得に応じて最終的に城を明け渡し、城内にいた将軍や兵士たちはモンゴル族への帰順を望まず自害したと伝えている。

 また、日中戦争期には、日本軍が攻略しようとしたと紹介。南京を失った蒋介石が拠点を重慶に移したのに伴い、日本も1938年から45年までの7年間に数十万人の大軍を仕掛けて重慶を落としにかかり、絶えず爆撃を実施したとする一方、「無数の爆弾を落としても相手が全く屈服する気配がなかったのは、日本にとっては誤算だっただろう。結局重慶は日本人の手に落ちることなく、日本による占領を免れた数少ない都市の1つになったのだ」とした。

 四川地域の山地にある重慶は非常に起伏に富んだ複雑な地形をしている。近年ではその地形ゆえに他所では見られない立体的な建築物や道路が見られるということで「3D」を大幅に超えた「8D」都市などと呼ばれている。かつては「最後の砦」として重要視されてきた重慶が、今は沿海部に比べて遅れた内陸地域の発展を支える拠点の1つとしてやはり存在感を持っているのである。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)