中国メディア・新華社は26日、日中両国の科学技術協力の40年を振り返るとともに、これからの協力のあり方について伝える記事を掲載した。

 記事は「1978年、中国は世界に向けて扉を開き、科学技術分野の学習を加速させた。先進国の企業も先進技術を引っ提げて広大な中国市場にやってきて潤沢なリターンを得てきた。とくに隣国の日本企業が先陣を切って、中国市場への参入を加速していった」とした。

 そのうえで、日中の科学技術協力の先駆けとして新日本製鉄が上海宝鋼に対して工場建設、技術移転、人材派遣、研修などの面で協力を始めたこと、1979年にはパナソニックの創業者・松下幸之助氏が中国を訪れて白黒テレビブラウン管設備の提供に合意し、87年には当時としては最大規模の合弁企業となる北京松下カラーテレビブラウン管有限公司を設立したと紹介した。

 そして、中国の科学技術レベル向上にともない、現在では日中両国の科学技術プロジェクト、資金、人材、技術分野の交流がますます双方向性を増すとともに、協力も深まっていると説明。2001年には北京の中関村技術パークが東京連絡所を設置し、現地と日本の企業界との交流の懸け橋になって来たとしている。また、華為など中国のハイテク企業も徐々に日本に進出し、日本のパートナーや消費者から徐々に歓迎されつつあると伝えた。

 記事は、今年8月末に日中政府間科学協力連絡委員会第16回会議が東京で開かれ、協同研究プラットフォーム建設の覚書が取り交わされたと紹介。今後日中両国は環境保護、エネルギーなどの重点分野での更なる協力研究が強化される見込みだとするとともに、中国科技部の王志剛部長が「日中の科学技術協力は相互補完性が高く、大きな潜在力を秘めている」と語ったことを伝えている。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)