日本経営管理教育協会が見る中国 第538回 ――坂本晃

◆1945年第二次世界大戦前の歴史日本

 794年に京都が首都となり、1868年の東京に首都が移るまで、前半に内戦はあったものの最後の江戸時代268年間は平和の時代を経験し、約1,000年を経過、その間、天皇家と武家、今日的にいえば軍事政権が併存したなかで、産業革命とともに近代国家に移行できたのが明治維新と呼ばれるいわば革命であった。

 西欧諸国が近代化を進め、植民地政策を実現していたなかで、四面海に囲まれるという地勢も活用し、富国強兵を国是に近代国家を建設していった。

 従来の農業経済から工業経済へ、全人口も4千万人から江戸東京は人口100万人と世界でも有数の大都市へ発展していった。

 日本の鉄道開業は1872年、徴兵制は1873年、明治憲法と地主選挙と呼ばれた第一回衆議院議員選挙は1890年、先進諸国の軍備拡張に呼応して軍備を増強し、1894年に1年弱の期間の戦争であった日清戦争に日本は始めて外国との戦争で勝利を経験した。

 その10年後1904~1905年には中国東北地方の陸戦と日本海海戦の日露戦争で再び日本は勝利し、中国東北地方における満州国建設への第一歩となった。

 再び10年後1914~1918年の第1次世界大戦に日本は参加したが、日本にとり大きな戦争ではなく、特需の恩恵があった。

 1923年の関東大震災、1923年の世界大恐慌と経済不況が続き、1931年に満州事変を起こし、翌1932年には満州国を建設した。この頃から軍部、とくに関東軍と政府の関係がぎくしゃくし、後に実質的な軍事政権へと移行、1937年の盧溝橋事件から日中戦争へ、さらに1941年には第2次世界大戦となる太平洋戦争で主にアメリカとの戦争に突入した。

 1945年、経済力の差で日本は無条件降伏をし、その結果軍事政権は崩壊した。

◆同時期の歴史中国

 西暦前2100年ごろから始まった中国は、日本の首都京都が始まる794年ごろには、「唐」の時代を終え、「宋」「金」「元」「明」「清」と大まかには200年毎ぐらいで移り変わり、明治維新1868年は「清」の時代であった。広大な土地を抱える中国は、交通機関や情報機関なども未発達の時代は、全国を統一することは陸地の国境をもたない日本と異なり、民族の違いを含めて今日のように統一するとこは困難であったと推測される。

 このころ、清はイギリスとの貿易のなかでアヘン戦争により、欧州による半植民地が進行した。

 1912年、共和制国家として中華民国は成立したが、1921年には中国共産党が成立、中華民国は第2次世界大戦で連合国側として勝利した。しかし、内戦の結果1949年には中華人民共和国が誕生した。

◆1945年第二次世界大戦後の歴史日本

 1945年敗戦からGHQによる占領下で、1947年新憲法の施行、戦後の復興を含め、高度経済成長が始まった。1951年の平和条約締結で世界に復帰し、その13年後の1964年、戦争で開催が中止された1940年の第1回東京オリンピックから第2回目となる東京オリンピックが、東海道新幹線の開通と合わせて開催された。

 25年後の1970年大阪万博では6千万人余りの入場者数を記録したが、1974年第1次石油危機で、高度経済成長に終わりを告げる。

 1985年のプラザ合意以降、地価の高騰を招いたバブル経済時代も、1995年には阪神淡路大震災、2011年には東日本大震災、デフレ時代を経験し、経済のグローバル化の進展、情報革命で「モノ」経済から「コト」経済へ移行、すべてがネットで繋がる第4次産業時代が進行中といえる。

 2020年、第3回目となる東京オリンピックの成功を期待したい。

◆同時期の歴史中国

 経済の近代化に遅れた中華人民共和国は、1958年、農民を基盤として経済発展を目指したが、大躍進政策で大量の餓死者を出すなど不成功、1966年~1977年の文化大革命も指導者の死去に伴って終わりを告げた。

 計画経済から開放政策を取り入れて、2001年には世界貿易機構に加盟、2008年には北京オリンピック、2010年上海万博を開催するなど、世界人口の18%を占める人口13億人を豊かにすべく、高度経済成長を官需主導で進め、世界第2位の経済大国になったが、今後は民需主導への転換が求められている。(写真は、2010年上海万博の中国館。提供:日本経営管理教育協会)