日本経営管理教育協会が見る中国 第536回 ――宮本邦夫

 今年は、日中国交回復45周年の節目の年である。国交回復後しばらくして、中国が改革開放政策を採り、多くの日本企業が中国に進出した。しかし、最近では、賃金の高騰など経営上のいろいろな問題があり、事業の縮小、撤退をする企業が増えている。そのような中で、最も早く中国に進出したパソニックが新しい中国戦略を打ち出したので、改めて同社の中国戦略を考察してみたい。

◆パナソニックの中国進出の経緯

 1978年、当時副首相であった鄧小平氏が訪日した際、当時の松下電器の松下幸之助氏を訪ね、松下氏に協力要請をした。松下氏は、この協力要請に応じて、1987年に初めての合弁会社「北京・松下彩色顕像管(BMCC)」を設立し、ブラウン管の製造を開始した。その後、同社の主力製品である洗濯機、通信機器、アイロンなどの家電製品を生産する会社も設立した。さらに、1994年には、R&D(研究開発)や人材開発などが一貫してできる統括会社の設立が、外資として初めて認められた。だが、21世紀に入って、ハイアールやサムソンなど中韓勢の台頭により、売上減を余儀なくされるにいたった。

◆パナソニックが中国に与えた影響

 パナソニックが中国に進出してから30年が経過したわけであるが、その間、パナソニックが中国の企業経営に与えた影響は、極めて大きいと言える。その中でも、私は次の2点を強調したい。第一は、人材育成の重要性を訴えたことである。BMCC設立後間もなく、250人に及ぶ中国人従業員を日本に招聘して、教育訓練を行い、人材育成の大切さを実践を通して示した。第二は、製品の品質の重要性を理解させたことである。当時の中国では、かつての日本がそうであったように「安かろう悪かろう」という製品が横行していたのであるが、それを日本的なモノづくりの方法を通して改めさせた功績は大きい。

◆パナソニックの新しい中国戦略の展開

 パナソニックは、中韓勢の台頭によって家電製品のシェアを落としていったのであるが、今回家電製品以外の製品戦略を打ち出した。その1つは、建設労働者向けのプレハブ住宅を手掛けることである。これは、パナホームで培った技術、ノウハウを駆使して事業展開を図るものである。2つ目は、習近平国家主席のトップダウンで決まった雄安新区(河北省保定市)の建設への参加である。雄安新区は、環境優先で開発し、先端産業やスマート交通網を備える未来都市であるが、パナソニックは、太陽光発電と蓄電システムなど5つの事業について持ち込まれ、実現に向けて検討中とのことである。(写真は、お台場にあるパナソニックセンター東京。提供:日本経営管理教育協会)