日本経営管理教育協会が見る中国 第532回 ――坂本晃

◆中国雄安新区の建設

 2017年4月1日に中国政府が河北省に雄安新区の建設を発表してから1年半を経過した。首都そのものの移転は近年ではブラジルのブラジリアの例がある。ブラジル政府は大きな借金を抱えつつも、人口約200万人の都市になり、すでに世界遺産に登録されているが、政府機関を除きこれといった産業もないようで、2016年夏季オリンピックはリオデジャネイロで開催された。

 雄安新区の場合は、国営大企業の本社を移転させたいとの構想がある。中国では、主要な指導者が深圳や上海浦東の開発で相応の成果をあげてきた経緯があり、現政権も歴史に残る一大事業としたい気持ちはあろう。問題は経済的に負の遺産を残さないかと同時に他の地域の発展を阻害しないかである。

◆北京の歴史

 紀元前の周の時代の首都「洛陽」からは遠く離れ、中国が常に北からの脅威にさらされているのが北京であった。しかし、北への備えが必要であり、交易上の重要な地点として重要視されるようになった。

 14世紀後半に明朝は首都を「南京」にしたが、15世紀初頭には「北京」へ遷都し、それ以降、日本が占領時に「南京」へ戻された時期もあったが、1949年、中華人民共和国の誕生以来、北京が首都となり、現在に至っている。

 明朝、清朝時代は、北京は内城と外城という城壁に囲まれた都市で、ほぼ正方形の内城は、現在は故宮と呼ばれているさらに内側の紫禁城を中心とした構造で、正面の門が天安門であり、外側に城壁を巡らした。その城壁には現在のも交通の要衝になっている「東直門」を始め9つの門、というかお城のような建築物が作られた。 この内城に沿った形で、地下鉄2号線が開通し、駅名に門の名前がいくつか残されている。この工事で、建築された門はすべて撤去されてしまい、前門が天安門広場の南に残されているのみである。外城は内城の南側に隣接して長方形の形で別に建設された。内城と共用の門を除き、6つの門があった。

 以前は「胡同」と呼ばれる四角形に囲まれた敷地の中に親族がそれぞれの建物で生活する形式の住宅だったが、一部観光用を除いて近年は、基本的に集合住宅に置き換わっている。従って親族はばらばらに生活することが基本になった。

 北京の世界遺産は、皇室の祭典の場所天壇、万里の長城、明清時代の皇居故宮、清代の離宮頤和園があり、それぞれ観光名所になっている。

◆京都の歴史

 8世紀にそれまで奈良にあった中国の洛陽などをモデルにしたいわれる平城京から一時期は長岡京と呼ばれる現在の京都の西に首都を建設したが、現在の京都の中心部を形成する平安京へ移転した。

 まだ宗教が強かった時代で、外側に延暦寺、鞍馬寺、羅生門、東寺と西寺が建設された。現在の京都市の中心部より小さい町だった。

 しかし、碁盤の目のように整然とした街路が建設され、現在でも原則としてそのまま利用されている。天皇の皇居、現在の京都御所の南側に東西方向の道路として一条通り、二条通りから九条通りまで存在し、南北の道路は現在では京都の交通の中心となっている地下鉄も南北に営業している烏丸通りの両側に整然と作られている。

 8世紀から19世紀までほぼ1千年の間、政治の実権は武家、現在流にいえば軍事政権に移った時代もあるが、天皇家は時代により紆余曲折はあったものの継続し、1868年明治維新で東京の現在の皇居に移られるまで、京都の京都御所に住まわれた。

 南を除き、山に囲まれて、底冷えのする土地で、西陣織りや清水焼きなど伝統工芸は優れていたが、産業革命による大きな産業は発達せず、京セラなど独自性のある企業が立地している。

 現在では清水寺など全部で17の神社仏閣が合わせて世界遺産に指定され、日本観光の目玉のひとつになっている。2016年には約1、500万人(京都市の人口約150万人)の観光客が訪問し、観光消費額は1兆円と試算されている。

  第2次世界大戦で、原子爆弾の投下も検討されたが、天候の問題と合わせて長崎が犠牲になり、京都は数回の小規模な空襲の被害に止まったとのことである。(写真は、京都御所の門。提供:日本経営管理教育協会)