2018年は日中平和友好条約締結40周年という節目の年だ。この40年で日中関係も変化してきたが、さらに長い時間で見ると日本と中国との関係はどのように変化してきたのだろうか。中国メディアの快資訊は1日、歴史を通じて日本は中国にどんな態度を見せてきたかに関する記事を掲載した。ひとことでは言い表せないほど複雑に変わり続け、恐れから、憎しみ、対立まで様々な顔を見せてきたとしている。

 歴史を見ると、日本は自身を小さな「島国」と卑下する気持ちと、逆に「神の国」という尊大さとの両極端な態度を取ってきたという。唐の時代、日本は中国に対し白村江(はくそんこう)の戦いで「対抗と挑戦」を見せたが失敗し、態度を一転させて遣唐使を派遣している。この時には恭しく中国から学ぶ姿勢を示しながらも、国書には「東の天皇、敬(つつし)みて西の皇帝に白(もう)す」と記したように、大胆にも対等であろうとしたと指摘した。

 その後、豊臣秀吉の時代の朝鮮出兵に言及。唐を制圧して北京を日本の首都にし、朝鮮さらにはインドまで支配しようとしたものの実現せずに終わったと主張。江戸時代になると、経済・文化面での交流を進める人と、「日本は神の国」だと優越感を示す人とに分かれ、幕末には尊王攘夷の吉田松陰が、明治維新後は脱亜入欧論を提唱した福沢諭吉が、侵略思想の基礎となり「きわめて悪質な作用」となったと批判した。

 記事によると、明治の初期にはそれでもまだ中国を恐れていた日本が、1874年の台湾出兵、1879年の琉球処分、さらには日清戦争、朝鮮植民地化、第2次世界大戦と中国に対抗する立場となったという。そして、戦後は、米国の庇護下に入り、原爆などを理由に加害者というより被害者意識を強くし謝罪の気持ちを持たなかったと主張した。

 戦後見事に復興を果たした日本は、世界第2位の経済大国の座を誇り、日本と中国の経済が逆転すると今度は中国脅威論などで民族主義をあおるようになったと、これまで日本の中国への態度は変わり続けてきたとまとめた。海を隔てた隣国としては、互いに影響し合い、意識しあうのは当然とも言える。日中平和友好条約締結から40年を過ぎ、今後の日中関係はどうなるのか、期待されるところだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)