日本経営管理教育協会が見る中国 第514回--水野隆張

■1967年「文化大革命」の真最中に訪中

 今から51年前の1967年秋に当時総合商社の営業マンだった私は初めて中国を訪問した。そのころは、まだ中国との国交回復前だったので香港でビザを入手して広東省広州市に入国した。

 当時は毛沢東が権力発動の手段として起こした「文化大革命」の真最中であり、中国国内は動乱状態であった。貼付した写真は当時深圳の税関で紅衛兵の歓迎を受けた忘れることのできない記念写真である。その後「文化大革命」は収束して鄧小平による改革開放政策によって中国は瞬く間に世界第二の経済大国へと発展したのは衆知のとおりである。

■「文化大革命」は「動乱と災難」

 中国共産党は1981年に「文化大革命」を「指導者が誤って引き起こし、深刻な災難をもたらした内乱」と総括している。「文化大革命」は「動乱と災難」であり、その原因は「毛沢東の誤った認識」だと指摘して、毛沢東が「文革の発動を決定した」と責任の所在も明確にしているのである。

 文化大革命中、各地で大量の殺戮や内乱が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれている。またマルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、協会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。特にチベットではその影響が大きく、仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりした。

 文革は過度な権力集中が混乱をもたらしたとの教訓から、中国は1980年代以降に集団指導体制へと移行した。国家主席の任期も「2期10年」までと上限を課した。ところが今年3月の全国人民代表大会はこの規定を撤廃して習氏の長期政権への道を開いたのである。

■中学校の歴史教科書に文革の新解釈が掲載された

 習近平政権になって2018年3月から中国の中学校で使われ始めた新しい歴史教科書では文革に関する記述がほぼ半減しているということである。毛沢東の「誤った認識」という表現は削除され、文革を実際に指導したのは妻の江青ら「四人組」だったとして、毛沢東の責任を和らげるかのような内容になった。

 2013年の毛沢東生誕120年を記念する行事で、習氏は文革について「個人の責任だけでなく国内外の社会的、歴史的な原因がある」と強調し、「人の世は順風満帆にいくことなどない。世界の歴史をひもとけば、いかなる国家も民族も曲折に満ちてきた」と訴えた。

■歴史は繰り返されるのだろうか??

 自らに権力を集中させる習氏の統治スタイルは、しばしば毛沢東を模倣しているといわれてきた。しかしながら、習氏自身のカリスマ性、実績・実力不足、それゆえの「反腐敗闘争」と「メディアコントロール」という政治的意図が表わされている。

 対外政策でも、意図的に「韜光養晦(とうこうようかい)」という鄧小平が遺した低姿勢外交からの脱却を目指し、米国のみならず世界からの反発に直面している。歴史はくりかえすというが、あの悪夢のような「文化大革命」の再来だけは避けてもらいたいと願うばかりである。(写真は、1967年深圳の税関にて、提供:日本経営管理教育協会)