日本が世界に先駆けた分野として新幹線を挙げることができるだろう。当時は世界でも前例のない一大プロジェクトであり、国内からの反対もあったものの、東京オリンピックの開催に間に合わせ、1964年に東海道新幹線の開業が実現した。中国メディアの今日頭条は25日、この新幹線の生みの親、十河信二氏を紹介する記事を掲載した。日本で最高の鉄道を作り、国のために尽力したのに、日本国民に罵られた人として紹介している。

 記事は、国の発展には新幹線がどうしても必要だという信念を貫いた同氏に感心しているようだ。まずは当時、新幹線がいかに先進的な交通機関だったかを伝えた。開業当時の営業最高速度は時速210キロだったが、中国は1997年の時点で最も速い鉄道が時速140キロ台に過ぎなかったという。

 しかも、日本が新幹線を建設したのは戦後十数年しか経っていないころだったことも指摘。十河氏は中国とも関連があり、かつての満州で鉄道を担当していたという。鉄道の速度は時速40キロ前後が普通だった当時の中国で、時速130キロで走る中国東北地方初の鉄道を作る計画や、鉄道というのはサービス業であるとの理念から車内にロシア人の接客係を用意し、さらには、東京ー北京間の線路の建設まで構想するほど、先進的だったと称賛した。

 記事によると、戦後に国鉄総裁となった十河氏の新幹線建設構想はあまりに先進的で、日本国内で受け入れられなかったという。主な理由は、戦後の日本も米国同様、鉄道は斜陽産業と見なされていたこと、自動車が普及し始めていたこと、新幹線の建設には膨大な予算が必要だったことがあるというが、同氏は建設費用を少なめに見積もって国会審議を通し、その後不足分を追加の予算で賄い、「世界銀行までだまして」予算を獲得したと説明した。

 しかし、建設予算超過のため国鉄総裁の再任とならなかった十河氏は、新幹線の開業に立ち会うこともできなかったと記事は紹介。日本経済に貢献しながらも、新幹線の開業に立ち会えなかったことに疑問を呈し、もし新幹線がなかったら日本は今どうなっているだろうかと問いかけて結んだ。

 記事では「国民に罵られた」としているが、実際のところ日本では「新幹線の生みの親」として高く評価されている。いずれにしても、先見の明を持ち、新幹線建設に大きく貢献した十河信二氏は、中国でも高く評価されているようである。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)