今や日本各地に子どもから大人まで楽しめる大小様々なテーマパークがあり、日本を訪れる中国人観光客にも人気のスポットも少なくない。しかし、かつてはデパートの屋上が子どもたちにとっては「夢の国」だった・・・そんな話を聞いた中国人観光客は驚くかもしれない。中国メディア・今日頭条は1日、「ゲームセンターが出現する前、日本人はみんな屋上で遊んでいた」とする記事を掲載した。

 記事は、「ゲームセンターはもともと、日本のデパートの屋上遊園地の付属品だった」として、現在街や商業施設ないで見かけるゲームセンターやプレイランドのルーツが、デパートの屋上にあったことを紹介。「1903年にはデパートの屋上に遊園地が作られるようになり、立体木馬やブランコなどが設置された。中国人にも知られているナムコも元は1955年設立の中村製作所という会社で、横浜のデパートにあった屋上遊園地の立体木馬を作ったのが始まりだった」と説明している。

 また、1950年代の屋上遊園地は戦後の再建事業に伴って新たな商機を得ており、既に空中散策や観覧車といったアトラクションまで出現していたとした。さらに、63年に中村製作所が三越百貨店の屋上にレールカーのアトラクションを設置するなど、60年代に入るとさらにそのバリエーションが豊かになっていったことを伝えた。

 記事は、各地のデパートに存在した屋上遊園地の転機になったのが、アーケードゲームブームの火付け役となった「インベーダーゲーム」の出現であったと指摘。屋上遊園地の一角にインベーダーゲームのプレイルームが設けられるようになり、これが現在の日本にあるゲームセンターの原点になったと説明している。

 そして、アーケードゲーム業界の成長に伴い、屋上の遊園地は徐々にゲームセンターに取って代わられるようになり、今では大部分の屋上遊園地が閉鎖してしまったと紹介。2014年に閉鎖した阪神百貨店屋上遊園地の営業最終日には、多くの市民が別れを惜しんで遊びにやって来たと伝えた。

 時代の流れとともに変化したのは屋上の遊園地だけではない。デパートの上階にあった大食堂もその殆どが姿を消した。デパート自体が休日の親子連れの「お出かけ先」ではなくなり、その役割は今や近郊のショッピングモールに取って代わられた。発展の過程で消えていった過去の産物への思いや愛着を胸に、われわれはさらに前へと進んで行くのである。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)