(41)戦前から漢字制限の動きはあったが
 
 前回、終戦直後の慌ただしいなか、昭和21年11月に早々と当用漢字1850字を公布したのは拙速に過ぎはしなかったかという意味のことを記したところ、国語学を専攻している友人から、そうとも言い切れないのではという指摘を受けた。
 
 どのように実行されたかはともかく、早く大正12(1923)年5月に臨時国語調査会が数が多く複雑な漢字の使用の不便を避けるために日常使用の漢字1962字と同略字154字を指定しているし、その後もこれを削減したり追加したりの改定が何度か行われてはいるとのこと。
 
 近いところでは戦時中の昭和17(1942)年標準漢字表2669字を定めたりしているようであるが、実行に移されたのかどうかは定かでない。仮にこれを絞って当用漢字1850字を定めたとしても、いかにも慌ただしい。GHQの圧力が働いて慌てて作業を進めたと見るのは、見当違いではないだろう。
 
(42)日本は字数制限 中国は字体簡略化
 
 どれほどの準備があったかはともかく、戦後の当用漢字表の特徴は、字数の制限だけではなく、続いて音訓の範囲を定め、さらに字体の標準を決めて、これを実行に移したことであろう。
 
 ただ、おおざっぱな印象としては、のち1981年の常用漢字表1945字に至るまで、狙いは音訓範囲の指定や字体の簡略化よりも、日常使用する漢字の字数の制限にあったように思われる。
 
 一方、中国の漢字改革の主眼は字数の制限よりも、字体の簡略化にあったと言っていい。
 
 このことは両国の文字事情の違いを考えれば容易に理解できることで、漢字と仮名を併用している日本語の場合、漢字がわからなければとりあえず仮名で表記することができるのに対し、中国語の場合、「とりあえず」という逃げ道が存在しない。そのため、一定数の漢字を短期間に習得する必要がある。負担の重い旧来の繁体字ではなく、初学者にとって習いやすい簡体字の制定が求められた。
 
(43)大胆に簡略化「豐」→“丰”
 
 先に見た周恩来の報告書にあるとおり、筆画数の多い「豐」の字がヨコ3本とタテ1本の“丰”と書けばよいと聞いて子供たちが拍手喝采し、「盡」が“尽”になったのを労働者が大喜びし、書きにくかった「穀」が“谷”でよいことになったと姉から教えられた農民の弟が、どうしてもっと早く知らせてくれなかったのかと恨んだというのも、すべてこのような背景があってのことである。
 
 「豐」「盡」「穀」の3字は、日本語ではどうであったか。
 
 〇「豐」は「豊」とやや簡略化されたが、元の字から特徴的な一部分を取り出して“丰”とした中国語ほどの大胆さはない。「豐」はたかつき(豆)に盛られた収穫物(丰)を示したものである。
 
(44)日本語では通用しない「穀」→“谷”
 
〇「盡」→“尽”は日本語においても「尽」で、両者に違いはない。
 
〇中国語の「穀」→“谷”は、「穀」の発音がgǔであるところから、同音の“谷”の字をもって代替したものである。では穀物の“谷”と谷、谷川の“谷”の区別が紛らわしくなりはしないか。現代中国語で“谷”が谷、谷川の意味で使われることはまれであるから、その可能性はまずない。
 
 一方、日本語においては、今日なお「谷」は谷、谷川の意味で常用されているので、「穀」を「谷」に改めるわけにはいかない。わずかに元の字の一画を減らして「穀」とするにとどめたに過ぎない。(イメージ写真提供:123RF)