(37)日本生まれの簡体字も採用したと言うが
  
 上に見たように周報告には「いくつかの日本で簡略化された漢字をも採用した」とあるが、“國”→“国”がその一例であるのを除いて、具体的にどの字がそうであるのかは、定かではない。
 
 例えば報告書のタイトル《当前文字改革的任务》のなかの“当”と“务”が簡体字である。そのうち“当”は日本でも「當」から「当」に簡略化されているが、中国においても早くから“当”は俗字として使われているから、これはその例に該当しない。
もう一つの“务”の方は、日本では簡略化されることなく、「務」のまま使っているから、こちらも例に当てはまらない。
 
(38)時にとまどった「当用漢字」
 
 現行の常用漢字1945字の元となる当用漢字1850字は、現代国語を書き表すために、日常使用する漢字の範囲を定めたもので、国語審議会の答申に基づいて1946年(昭和21年)11月に公布されている。
 
 私事にわたるが、わたくしが学校に上がったのは昭和21年で、この時はまだ国民学校であった。戦後、学校制度が改革されたのは翌年の4月であるから、わたくしは国民学校の最後の1年を体験したことになる。「ミンナデ學校ウレシイナ、國民學校一年生」という唱歌の一節を今も覚えている。
 
 初年度の教科書は片仮名で漢字はほとんど無かったが、翌年の小学校二年生からは平仮名に変わり、漢字もぼつぼつ出てくるようになり、中にそれまでに本を読んで覚えていた旧字が新字に変わっていて、時にとまどった記憶がある。
 
(39)「惠」を使ってバツをもらった
 
 筆画数の多い「學」の字をメメヨヨカンムリ(冖)コ(子)と覚えて得意になっていたのが、「そんな難しい字を書かなくてもいい」と言われてがっかりしたり、国語の試験の答案に自分の名前の「惠」の字を使ってバツをもらって、どうも釈然としなかったり・・・。
 
 「學」→「学」はともかく、「惠」を「恵」に略したからといって、どれほどの省力化になったのか、いまだによくわからない。邪推かもしれないが、なんでもいいからどんどん画数を減らして持って行けばGHQの受けが良かったのではないか、という気がしなくもない。
 
 なにしろ、漢字を廃止してカナモジにしようとか、国語の表記法をローマ字に改めようとか、果ては、日本語をやめてフランス語を採用しようなどという意見まで飛び出す時代であったから・・・。
 
(40)急ぎすぎた「当用漢字」の策定
 
 ともあれ、昭和21年11月に当用漢字1850字が公布された。終戦が昭和20年8月であるから、わずか1年余りで決定・答申、公布に至っている。
 
 速い。まさか戦前・戦中から作業が進められていたとは考えられないから、背後に大きな圧力があって、国語審議会は、昨今流行のことばを借りるならば、よほどの「スピード感をもって」原案策定を急いだに違いない。
 
 今、ここで当用漢字表の出来・不出来を論じるつもりはないが、「拙速」によるほころびをおいおい露呈することになることは、よく知られているとおりである。
 
 当然、この表は中国においても参考にされたはずであるが、さてどの程度の参考になったか。