日本経営管理教育協会が見る中国 第471回--坂本晃
 
・1868年明治維新から明治時代の45年間
 
 1603年江戸幕府開府から265年継続し、鎖国状態で農業中心、士農工商の身分制度から1968年明治維新で大政奉還、天皇が京都から東京へ移られ、東京が名実ともに首都になった。
 
 1889年に明治憲法制定、民主国家として、立法、行政、司法の三権分立が確定した。欧米先進諸国へ追いつけ追い越せのスローガンの元、1972年の世界遺産「富岡製糸場」を国営で開始、国有鉄道は同年新橋~横浜間で開業、製鉄は1891年に「官営八幡製鉄所」の創業、1873年には徴兵制度が設けられた。
 
 1894年には、朝鮮を戦場に清国との争いであった日清戦争が8か月間争われ、勝利の結果、清は朝鮮の独立の承認、清は日本へ賠償金2億両の支払、遼東半島、台湾を日本の領土にすることになった。
 
 清は広大な領土があり、欧米の列強が租借したが、各国が軍を引き上げる中、ロシアは満州に軍を留め、朝鮮にも勢力を伸ばしつつあった。日本はそれを見逃せないとロシアに1904年に宣戦布告、ロシアは遼東半島の旅順には要塞を築いていたのを攻撃、激戦の末、勝利、ロシアのバルチック艦隊の日本海到着を日本海軍が攻撃し、大半を撃沈して、日本が日露戦争に勝利、南満州鉄道の一部と南樺太を日本の領土にすることで決着した。
 
 その結果を踏まえた日韓併合は1910年に行われ、1945年まで朝鮮、台湾と南樺太は日本が統治することになった。
 
・1912年から大正時代の15年間
 
 1914年、欧州で始まった第1次世界大戦に日本も青島のドイツ租借地の攻撃に参戦した。当時先進諸国の帝国主義で植民地も参戦し、基本的にはドイツ、オーストリア、オスマン帝国対他の世界各国、中心はフランス、イギリス、ロシアであった。
 
 4年間にわたる戦争で、ドイツは大敗したが、各国の損害も大きく、従来のように賠償で賄うことは不可能であった。
 
・1926年から昭和時代の64年間
 
 日本は政党政治が未熟だったこと、農村の疲弊が目立ち、1929年の世界大恐慌の波を被ったこと、日清、日露、第1次世界大戦での勝利で力を得た軍部が台頭、満州での日本の権益を巡って1931年の満州事変(柳条湖事件、九.一八事件)を起こすなど、政治と軍部の力関係が崩れ、とくに若手将校による1932年の五.一五事件、1936年の二.二六事件(いずれも事件初日の日付け)で、政界の要人が暗殺されるなど、不安定な状況になった。
 
 1932年に満州国は実質的には日本の植民地として独立した。南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」が経済基盤開拓を担当し、日本内地では過剰人口に悩む農民などの進出先として「満蒙開拓団」を組織、中国人が開拓していた農地を買収するなどして
1945年には20万人台が進出していた。
 
 1937年7月7日に北京郊外で起きた盧溝橋事件は日中戦争の発端となった。当時は中華民国の時代で、近代化に遅れた当時の中国は、日本軍の進出を食い止められず、中国北部は、実質的に日本が支配することとなった。
 
 1941年に日本はアメリカなどと太平洋戦争に入る。物量に勝るアメリカに日本は初戦では勝利したものの、原子爆弾の実用化を含めて、1945年8月15日に無条件降伏した。
 
 東京を始め空襲で壊滅した地域の復興など、物が不足し、インフレ状態が続いたが、1956年に「もはや戦後ではない」と宣言され、技術革新による新製品の発売と物の需要を満たすために経済は大きく成長、高度経済成長の時代を経験した。1964年の東京オリンピックの開催は、日本の大きな目標となった。
 
・1989年から平成時代の29年間
 
 1991年に土地神話の崩壊とともにいわゆるバブル崩壊を経験する。
 
 2008年のリーマンショックがあり、経済が停滞した時期もあったが、昭和初期のような大きな落ち込みはなくて済んだ。
 
 アメリカのように1945年以降も何らかの戦争を経験することもなく、明治維新から終戦まで78年間も続いた戦争の時代に終わりを告げ、終戦から72年間も続いている平和な時代を今後も続けたい。その実現は日本国民が賢い判断を選挙で行いたいものである。(写真は日本経営管理教育協会が提供)