(13)“打屁股”――『沫若自伝』から
 
 “打手心”がどれほど苛酷な体罰であったかについて、上の郭沫若自伝にこうある。刑具は厚さ1、2分、長さ3尺ほどの竹片。打ち方に略式と正式があって、略式の方だと、着物や帽子の上から乱打する。正式な方は、“打掌心”か“打屁股”、すなわち手のひらか尻を打つ。
 
 小小的犯人要把板凳自己抬到“大成至圣先师孔老二”的神位面前,自己恭而且敬地挽起衣裳脱下裤裆,把两爿屁股露出来,让“大成至圣先师孔老二”的化身拿起竹片来乱打。(小さな罪人は自分で板製の腰掛けを「大成至聖先師孔老二」の位牌の前に運んで行き、自ら恭しく着物をまくり上げ、ズボンを下ろし、両の尻こぶたをむき出しにして、「大成至聖先師孔老二」の化身に手にした竹片で乱打されるのである。)
 
(14)“我很赞成李烛尘先生的看法”
 
 描写は“打屁股”についてであるが、“打掌心”すなわち周報告にいう“打手心”の方もこれに類したものであったことは、容易に推測できる。『沫若自伝』については、いまちょうど他の場所で取り上げているところであるのでこのくらいにして、《当前文字改革的任务》に戻る。
 
 インテリが漢字の簡略化に対して不熱心であるばかりか、往々、略字は目障りであると感じて強い抵抗感を示しがちなことについて、報告の中で周氏は、《文字改革》という月刊誌に寄せられた李燭塵の文章を引いて、“我很赞成李烛尘先生的看法”(私は李燭塵氏の考えに賛成する)とする。
 
(15)“好了疮巴忘了痛”
 
 李氏は言う。
 
  一提到汉字改革,总有些人提出这样那样的理由,不同意甚至坚决反对。如有人说,“汉字并不难”。我看这样的人和“好了疮巴忘了痛”的人一样,忘记了当年初学“三字经”、“千字文”时的痛苦了。(漢字改革の話になると、決まって一部の人があれこれ理由を述べて、賛成しなかったり断乎反対したりする。「漢字は難しくなんかない」という人がいるが、そういう人は「おできが治れば痛さを忘れる」手合いと同じで、むかし『三字経』や『千字文』を習い始めた時の苦しみを忘れているのだ。)
 
 『三字経』は三字一句、『千字文』は四字一句の平易な文句からなる初学者用の教科書、また習字手本。
 
(16)“快变成文盲了”
 
 李氏は続ける。
 
 我想这些人如果能回想一下当年自己学习汉字的痛苦,再设身处地为儿童和文盲的利益着想,也许不至于不同意或者坚决反对。(こういう人たちは、むかし自分が漢字を習った時の苦しみを思い出し、これから漢字を習う児童や文盲の人たちの身になって考えてやったならば、賛成しないとか、断乎反対するとかいうことにはならないであろう、と私は思う。)
 
 報告書はさらに、李燭塵氏が、漢字簡化方案が公布されてのち、こんどは自分たちの方が“快变成文盲了”(文盲になってしまう)と言う人がいるのを批判して、そういう嘆きや心配は“多余的”(取り越し苦労)である、とするのを紹介する。(執筆者:上野惠司)(イメージ写真提供:123RF)