16世紀のオランダの画家ピーター・ブリューゲルの「盲人の寓話」は実に教訓に富む作品だ。6人の盲人が連なって歩いているが、先頭を歩いている者が穴に落ち込んでいるのに、後続の5人はそのことに気が付いていないという情景が描かれている。

 誰から学び、誰に従っていくかを選択することは失敗を避け、成功を収めるために非常に重要な要素であることを想起させるが、この教訓は中国自動車工業の発展が遅れている理由を説明するためにも用いることができるようだ。
 
 中国メディアの我愛車は7日、自動車工業における中国と日本の差はどこにあるのかというテーマについて論じる記事を掲載し、かつて中国自動車工業はソビエト連邦の歩みについていかざるを得なかった時期があると紹介、これが日中自動車工業の現在の差につながっていると論じた。

 記事はまず、「民族的感情を除けば、日本という隣国は認めざるを得ない国」であるとし、特に自動車産業において日本は世界的に重要な役割を果たす国であると指摘。近年の中国でも品質を高める自動車メーカーが現れつつあるとしながらも、まだまだ日本車の品質には及ばないのが現状であるとし、「日本と中国の自動車産業の差は時間にして20−30年、先端技術の領域においては50年以上はある」と論じた。

 続けて、現在のロシアに世界レベルの自動車ブランドは存在していないと指摘。それは、ソビエト連邦が様々な面で多くの間違いを犯しており、むだな回り道を多く重ね、挙句の果てに自分ではどうにもならなくなり解体するに至ったためと説明し、貧しかった頃の中国はソ連に追随していたが、ソ連の動きが当時の中国自動車工業発展の方向をひどく曖昧にしたと論じた。

 記事は一方で、朝鮮戦争やベトナム戦争の時期において、米国は前線の戦車や戦闘機の修理や補給を確保するために日本の協力が不可欠だったと説明、このことがこの時期における日本の機械工業の発展を加速させたと指摘し、現在における日本と中国の自動車工業のレベルの差を形成する一因となったという見方を示した。

 中国とソビエト連邦、日本と米国というこの2つの関係の違いが、その後の日中の自動車工業の発展の仕方を大きく分けるものとなったということだが、確かにこの主張には一理ある。ただ、現在の中国車は国内の大きな市場を背景に、徐々にではあるが品質と技術力が向上してきているのは事実であり、日本としては中国の自動車産業を決して軽視することはできないと言えよう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)