(25)宣統三年九月十四日

  宣统三年九月十四日――即阿Q将搭连卖给赵白眼的这一天――三更四点,有一只大乌篷船到了赵府上的河埠头。(宣統3年9月14日――すなわち阿Qが巾着(きんちゃく)を趙(チャオ)白眼(パイイエン)に売り渡した日――夜中の12時過ぎ、一艘の大きな黒塗りの篷船(とまぶね)が趙家の船着き場に着いた。)

 宣統3年9月14日は陽暦の1911年11月4日に当たる。この日は辛亥革命武昌蜂起後25日目で、同日、杭州府が革命軍に占領され、紹興府も即日光復、すなわち、革命の成功を宣言した。

 “三更四点”の“更”(gēng)は一夜を五等分して呼ぶ時刻の名で、三更は12時前後の2時間。“点”(diǎn)は“更”を五等分した単位であるから、“三更四点”は午前1時前ということになる。要するに夜中過ぎ、真夜中、意訳して丑(うし)三つ時。

(26)“乌篷船”

 “乌篷船”の“乌”は黒い、“篷船”は苫(とま)舟、すなわち菅(すげ)や茅(ちがや)などで編んだこものようなもので覆った舟。紹興の烏篷船は竹と竹の皮で編んだ篷で船体を覆い、これを桐油で溶いた煤(すす)で黒く塗ってこしらえた。“乌篷船”に対して“白篷船”もあり、こちらは何も塗っていない。前者が裕福な家が利用したのに対し、後者は普通の家に利用された。

 “赵府上的河埠头”とあるのは、大小の川が網の目のように流れている水都紹興では、この時代、船が主要な交通・輸送手段であって、趙家のような大きな屋敷では自前の船着き場を持っていたのである。

(27)荡来举人老爷的船

  这船从黑魆魆中荡来,乡下人睡得熟,都没有知道;出去时将近黎明,却很有几个看见的了。据探头探脑的调查来的结果,知道那竟是举人老爷的船!(この船は闇にまぎれて漕いできたので、土地の人々はよく寝入っていて、誰も気がつかなかった。だが、出て行く時はもう明け方に近かったので、何人もの者が目撃していた。あれこれ調べた結果、この船がなんと挙人旦那の持ち船であることがわかった!)

 “黑魆魆”(hēixūxū)は真っ暗闇なさま。“荡”(dàng)は揺れる、揺らす意から転じて櫂(かい)やオールでこぐことをいう。“荡船”“荡桨”(dàngjiǎng)にように用いる。“探头探脑”はあたりをはばかりながらこっそりと探るさま。

(28)举人老爷到我们乡下来逃难了

 上に“那竟是举人老爷的船!”とあることから、城内にただ一人の挙人の資格保持者ともなれば自家用の黒篷船を所有していたことがわかる。その挙人旦那がふだんはさしたる付き合いのない趙家に真夜中に船を漕ぎ寄せてきたというので、村中は大騒ぎになる。

  那船便将大不安载给了未庄,不到正午,全村的人心就很摇动。船的使命,赵家本来是很秘密的,但茶坊酒肆里却都说,革命党要进城,举人老爷到我们乡下来逃难了。(その船は大きな不安を未荘にもたらし、正午にならないうちに、村中の人の心はひどく動揺した。船の使命については趙家では固く秘密にしていたのだが、茶館や酒屋でのもっぱらのうわさでは、革命党が城下に入ってくるので、挙人旦那はこの村へ避難してきたというのだ。)(執筆者:上野惠司)(イメージ写真提供:123RF)