改革開放に伴う市場経済の導入で中国は急成長を遂げ、豊かになった。しかし、その一方で、忘れ去ってしまったものも少なくない。その最たる例は環境破壊、モラルの低下であるが、アニメーション技術においても「忘れ物」があるようだ。

 中国メディア・今日頭条は7日、「どうしてあなたは国産アニメを好んで見ないのか」とする記事を掲載した。記事は、現在の中国国産アニメの多くが「簡単なセリフ、粗雑なキャラクター、音楽で感動させて、ストーリー性は全くなし」とし、「レベルが低くて幼稚、何の進歩もない」断じた。

 一方で、中国でもかつては「神クラスの、世界を驚かせるようなアニメが作られていた」と説明。その例として1964年に制作された「大鬧天宮」(邦題は「大暴れ孫悟空」)、88年に制作された水墨画アニメ「山水情」を挙げた。「大鬧天宮」は「米国人に『わが国ではこんなアニメは絶対に作れない』と驚嘆せしめ」たとし、「山水情」は日本のアニメーターが中国へ学びに来るも、その難易度の高さから諦めて帰っていったとしている。

 記事はそのうえで、かつて高い技術を持っていた中国アニメが「低レベルで幼稚」なものになり下がったっていった理由について分析。「その最も大きな原因は、考え方の変化だった」とし、かつては「子どもたちを大人と見なし、心とパワーとお金をかけてアニメ作品を作っていた」が、現在では「子どもだからどうせ分からないだろうと考え、粗製乱造状態となってしまった」と解説した。その結果、子どもたちの審美眼を見くびり、画面のフレーム数を減らし、セリフでその不足を埋めた、面白みのない同じような作品があふれるに至ったとのことだ。

 さらに、商業主義の蔓延により「より少ない精力せより多くのお金を稼ごうとする」ようになり、かつてのように心を込めてアニメを制作するようなことはなくなり、低レベルな現状を招いてしまったとも論じている。

 「温故知新」とはまさに中国からやってきた言葉である。中国のアニメ業界においても一度「お金儲け」の概念を捨て、かつての功績に学んでじっくりと作品づくりに向き合ってみる必要があるのかもしれない。それは、急速な発展の中で忘れてきてしまった物を取り戻す旅とも言える。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)