(25)「節句」も「節供」も日本語
 一、三、五、七、九の奇数を陽とし、月日ともに陽となる日を特別な日として重視する考えは中国のものだが、一月一日(のちに一月七日)、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日の五日をまとめて「五節句」とするのは日本のもののようだ。

 それに「節句」は古くは「節供」と書き、今もこちらが使われることもあるようだが、「節句」も「節供」も中国語ではなさそうだ。節供の「供」はこの日、特別な食べ物を供えて祝うところから当てられたものに違いない。

 「節句」「節供」に似た語に「節気」「節季」があるが、それぞれに異なる。

(26)怠け者の節句働き“嬾漢節日忙”

 セックとセッキは発音が近いので、わたくしなどもうっかり言いまちがえることがある。

 先日、ラジオの文芸番組を聴いていたら、どこかの大学の先生らしき番組の司会者が、何度も「怠け者のセッキ働き」と言っていた。繰り返していたから、たぶんこの人は「セック働き」ではなく「セッキ働き」なのであろう。

 「節句働き」は解説するまでもなさそうだが、一般の人がみな休む節句の日にことさらに忙しそうに働くことをいう。「怠け者の節句働き」をどういうか中国の知人に聞いてみたところ、首をかしげているので、一通り説明したら、それなら“嬾漢節日忙”でしょうとのことであった。直訳に近いが、なかなかうまい。それとも、もともと使われている中国語なのだろうか。

(27)絶品,小さんの『睨(にら)み返(かえ)し』

 「節季」は季節や時節の終わりをいう語で、特に歳の暮れを指していうことが多い。旧時の商習慣では,盆と暮れに勘定を締めくくるのが普通であった。と書いたら、突然五代目小さん師匠のあの人なつっこい丸顔が思い浮かんできた。

 『睨み返し』。本当にそんな商売があったのかどうかは知らないが、大晦日(おおみそか),どうにも金繰りがつかない亭主に代わって、一言も口をきかずにつぎつぎと借金取りを睨んで追い返すのである。戸口にドカッと腰をすえて、きざみたばこをきせるで一服一服吸いながら待ち受けて・・・。よしましょうね、落語の解説をする場所ではありませんから。でも、よかったなあ小さん。小さんはもう聴くことができないが、小三治ならまだ間に合う。でも、この師匠小生と同い年だから、なるべくお早めに(笑)。

(28)“端午”“中秋”“年関”
 今日掛け売買の決済は月ごとに行われるのが普通であるが、かつては盆と暮れであった。もっとも、上方(かみがた)では三月の上巳、五月の端午、九月の重陽など、ほぼ2カ月ごとに行われていたようである。

 中国ではどうであったか。こちらも時代や地方によって一定しないようだが、最も一般的なのは例の『孔乙己』に描かれている端午、中秋節、大晦日である。

 以前にも引いたことがあるが、『孔乙己』の結びにこうある。

 自此以后,又長久没有看見孔乙己。到了年関,掌櫃取下粉板説,“孔乙己還欠十九个銭呢!”到第二年的端午,又説“孔乙己還欠十九个銭呢!”到中秋可是没有説,再到年関也没有看見他。

 我到現在終于没有見――大約孔乙己的確死了。(執筆者:上野惠司 編集担当:サーチナ編集部)(イメージ写真提供:123RF)