(21)占う日? 生まれた日?
 先に一月七日の「人日」について述べた際に、「元旦の鶏に始まり、二日に狗(いぬ)、三日に羊、……七日に人、八日に穀物の豊凶や人の禍福・吉凶を占う風習があり・・・」と記したところ、「占う日」ではなく「生まれた日」ではないかという指摘を受けました。

 さて、どうでしょうか。わたくしが占いの日としたのは孫引きですが、『事物紀原』という宋代の本に東方朔(とうぼうさく)の『占書』に「歳正月一日占鶏、二日占狗、・・・七日占人、八日占穀」とあるとするのによったのですが、或いは別に「占い」ではなく「誕生」の日とする記述があるのかもしれませんね。記述がなくても言い伝えがあることも考えられます。

 こんなことはネットとらやのお世話になればたちどころに解決するのでしょうか。

(22)杜甫にも「人日」の詩
 ついでに補っておきますと、同じ「人日」について盛唐の詩人高適がこの日に杜甫に贈った詩のなかの一節「今年の人日空しく相憶ふ、明年の人日何れの処なるかを知らん」を引きましたが、杜甫の方にも『人日』と題する詩があって、なかに「元日到人日、未有不陰時」という句があるそうです。元日から人日まで、ずっと晴れた日がない、と言っているのでしょうか。

 杜甫の『人日』は『辞海』第六版からの孫引きです。高適の「人日杜二拾遺に寄す」に答えた詩なのか、たまたま「人日」を詠んでいるだけで両者は無関係なのか、唐詩に通じていないわたくしには判断のしようがありません。こちらもネットで検索すれば容易に答えが得られるのでしょうね。まあ「網盲」の老生、当面は(今生(こんじょう)は?)紙の本で得た限りの知識で行くことにします。

(23)「菊月」旧暦九月の異称

 くどいようだが、新暦の九月九日を「重陽」とするのは季節が早すぎるということについて、もう少し補っておきたい。

 旧暦の月名には異称があって、一月を睦月(むつき)、二月を如月(きさらぎ)、三月を弥生(やよい)・・・とすることは、受験勉強で覚え込まれた(込まされた?)ことと思う。この順で行くと、九月は普通に習うのは長月(ながつき)であるが、ほかにもいくつかの異称があって、その一つは菊月(きくづき)である。旧暦の九月は、年によって異なるが、たいていは新暦の十月から十一月の前半に重なる。

 旧暦の九月はまた季秋(きしゅう)とも称される。これは漢語で、七月の孟秋(もうしゅう)、八月の仲秋(ちゅうしゅう)に続く秋の終わりの一か月の意である。

(24)団子坂の菊祭
 明治の作家二葉亭四迷の『浮雲』、夏目漱石の『三四郎』には、いずれも作品の舞台として団子坂(だんござか)の菊祭が出てくる。『浮雲』は作品を読めばわかることだが、小説の筋は十月の末から十一月の初めのこととして設定されている。

 『三四郎』の方は月は明示されていないが、「秋晴れと云って、此頃は東京の空も田舎の様に深く見える」とあるところから、秋も深まった頃のことであることがわかる。

  形ばかりの浴(ゆあみ)す菊の二日哉

 明治43年の10月末から11月の初め、入院中の漱石は菊を詠んだ句をいくつも日記に記している。(執筆者:上野惠司 編集担当:サーチナ編集部)(イメージ写真提供:123RF)