先日、中国人観光客の夫婦が日本のホテルに備え付けのトイレの便座を持ち帰ったことが明らかになったとのニュースが、中国国内で大きく報じられ、「中国人の面汚し」、「中国人として恥ずかしい」という批判が噴出した。「日本の便座」、「観光客のモラル」という近年ホットになっている2つの話題に再び「燃料投下」するような出来事だった。

 この一件について多くの中国メディアが評論を発表したが、中国メディア・新京報が20日に記載した評論は、個人として恥ずべき行為を、国レベルに持ち上げて論じることの危うさについて論じている。

 記事は、どんな心理的な動機があっても、観光客が自分の所有物でない物を持ち去るというのは許される行為ではなく、すぐに謝罪したからいい、というものではないと指摘。さらに、便座を「拝借」した夫婦が幼い子を連れて日本を訪れていた点を挙げ、「子の面前でそのような行為を働くことは、次世代の健全な成長にとっても良くない」と断じた。

 さらに、謝罪文の中で夫婦が「ちょっとした利益に目が眩んで」と動機を語ったことに言及。「日常の行動や認知様式が自然と表れたに過ぎない」とし、他人の物を「ちょいと拝借」することが、大したことではないと日ごろから思っている事の表れだと指摘した。

 一方、「中国人の面汚し」という論調に対しては、1カ月に何十万人という中国人観光客が日本を訪れる中で、ごく一部の良からぬ行為を取り上げて「中国人の面」を持ち出すのは「不可能であるし、そうすべきでもない」と批判的な見方を示した。「ごく一部の人が起こした問題は、その個人の道徳の問題であり、広義の中国人とは関係ないのだ」とし、「言ってしまえば、個人はみんな自分の行為に責任を持つべきなのだ」と論じている。

 個人の社会道徳に反するような行動が、その国全体のイメージを悪くする可能性があることは否めない。記事はその点に言及していないが、おそらく承知の上の事であり、もはや言うまでもないといった姿勢なのだろう。記事が指摘しているのは「中国人の恥」と批判に始終することで、個人としての責任感がないがしろにされているのではないか、という点だ。

 中国国内において、「自分は中国人だ」と日々考えて生活を送っている人は果たしてどれほどいるだろうか。「中国人」というより「自分」、「一個人」として生きている人が大半だろう。その「自分」、「一個人」レベルでモラルの改善を図らなければ、マナー違反を「国の恥」ではなく「個人の恥」として認識するようにならなければ、「マナーを守る中国人」像はいつまでたっても完成しないのである。道徳は「中国人」として守るべきなのではく、「個人」として守るべきものなのだ。それを示唆している点において、この記事が持つ意味は大きい。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)