(5)まさか!
 9月7日の『朝日新聞』朝刊の「ことばの広場」は「重陽」を取り上げて、「あさって9月9日は重陽(ちょうよう)、菊の節句です」と解説していた。「まさか!」と思いましたが、この欄は「校閲センターから」とありますから、駆け出しの若い記者が書いているのではなく、きっとこういうことにうるさい老練の記者が書いているのでしょうから、重陽の節句も、もう旧暦ではなく新暦で祝うようになっているのでしょうか。

 でも、前回引いたように、『岩波国語辞典』は「陰暦九月九日の節句」とわざわざ「陰暦」と断っていますし、「喜寿」には断りのなかった『広辞苑』も、こちらは「陰暦九月九日」です。手元の辞典では『新明解』だけが、断りなしの「九月九日」です。

(6)“老虎”と闘いながら菊酒ですか
 「重陽」はいまさら解説するまでもないかと思いますが、中国で陽(奇数)の最高の数である九を重ねるところからきた命名です。中国ではこの日に「登高」と称して小高い丘に登って菊酒を飲む行事がありましたし、わが国の宮中における「観菊の宴」もよく知られています。これらの行事は、古くから行なわれてきたものですから、当然陰暦によるもののはずです。“秋老虎”とトラにたとえられる酷しい残暑の季節に丘に登って菊酒を飲む風流人など存在しません。

 『朝日新聞』の記者が記すように、なるほど「まだ暑い季節ですが今は年中菊の花があります」が、いくら「長命を呼ぶ」からと言われても、この季節に菊の花を浮かべた菊酒を飲む気になれません。下戸(げこ)の偏見かな?

(7)王維「遍く茱萸を挿して一人を少く」
 菊酒もさることながら、「登高」に欠かせないのが茱萸(しゅゆ)、和名カワハジカミという植物。この木の枝を髪に挿すと厄払いができると信じられていた。

 王維の詩『九月九日憶山東兄弟』に、
  遙知兄弟登高處, 遥(はる)かに知(し)る 兄(けい)弟(てい)高(たか)きに登(のぼ)る処(ところ)、
  遍挿茱萸少一人。 遍(あまね)く茱(しゅ)萸(ゆ)を挿(さ)して一(いち)人(にん)を少(か)くを。
という句がある。故郷山東の兄弟みなが茱萸を挿して丘に登っているきょう九月九日、自分一人遠く他郷にあって肉親をしのんでいる、と詠んでいるのである。

(8)杜甫「百年多病 独り台に登る」
 有名な杜甫の詩句、
  風急天高猿嘯哀, 風(かぜ)急(きゅう)に天(てん)高(たか)くして 猿(さる)嘯(な)くこと哀(かな)し、
  渚淸沙白鳥飛廻。 渚(なぎさ)清(きよ)く沙(すな)白(しろ)くして 鳥(とり)飛(と)び廻(めぐ)る。
は、『登高』と題する七言律詩の起聯(きれん)(第一句と第二句)である。

 頸聯(けいれん)(第五、第六句)の、
  萬里悲秋常作客, 万里悲秋(ばんりひしゅう) 常(つね)に客(かく)と作(な)り、
  百年多病獨登臺。 百年多病(ひゃくねんたへい) 独(ひと)り(り)台(だい)に登(のぼ)る。
は、孤独な漂泊の旅を続ける多病の詩人の悲愴(ひそう)な境地を吐露して余すところがない。(執筆者:上野惠司 編集担当:サーチナ編集部)(イメージ写真提供:123RF)