(1)「喜寿」は済ませました
 『阿Q正伝』を一休みして、このところ目に留まったいくつかのことばを取り上げることにします。「おぼしき事いはぬははらふくるるわざ」とか申しますから。まあ1年余り前の「気になる日本語」の続きのようなものです。

 昭和14年生まれのわたくしは、この10月1日で満77歳に達します。何人かの友人や後輩が「喜寿ですね」と祝福のことばを寄せてくれました。「みんなでお祝いをしなければ」などと言ってくれる人もいます。「いやもうとっくに済ませましたから」と応じると、彼ならびに彼女らは、みなきょとんとした表情を見せます。なかには、「さては先生、年齢を詐称していましたね」などと、穏やかでないことを言う人までいます。

(2)『岩波』も『新明解』も満年齢
 この行き違い、種明かしするまでもなさそうですが、わたくしのいう「喜寿」は数え年の77歳で、彼ならびに彼女らのいう喜寿は満年齢の77歳であったというわけです。ついでながら、満にしろ数えにしろ、77歳を喜寿と称するのは、「喜」の字の草書体を分解すると「七十七」に見えるところから来ています。こんなことは、わたくしがわざわざ解説しなくても、どなたもご存じですね。

 今、手元の国語辞典を見ますと、例えば『岩波国語辞典』(第七版、2009年11月)も、三省堂の『新明解国語辞典』(第七版、2012年1月)も、「七十七歳(の祝い)」とか、「七十七歳(の長寿の祝い)」とかしているだけで、数えで祝うのか満で祝うのかについては触れていません。ただ、今日の通念として、特に断りがなければ年齢は満で数えるのが常識ですから、両辞典とも喜寿の祝いは当然満年齢によるものと解しているに違いなさそうです。

(3)『広辞苑』も初版以来ずっと
 「特に断りがなければ」の「断り」の例としては、上の『岩波国語辞典』の「重陽」の項に「陰暦九月九日の節句」とわざわざ「陰暦」を冠しているのを挙げることができます。

 岩波と三省堂の両国語辞典に従うかぎり、喜の字の祝いは数えでとするわたくしの主張は引っ込めざるをえないようですね。

 こういう場合にしばしば引き合いに出される『広辞苑』はどうでしょうか。残念ながら、わたくしにとって「残念」というだけのことですが、1955年5月の第一版以来、最新の第六版(2008年1月)に至るまで、ずっと断りなしの「七十七歳」、つまり満年齢扱いです。

(4)『明鏡』は数え年
 わたくしの数え年説に味方してくれる辞典はないかと、書棚からふだんはあまり引かない何冊かの国語辞典を引っ張り出してみました。

 ありました!北原保雄編『明鏡国語辞典』(大修館書店、2002年12月初版)。「数え年七七歳」と明記されています。念の為、「古稀」と「米寿」にも当たってみました。共に「数え年七十歳」、「数え年八十八歳」とはっきり「数え年」と断っています。

 編者の北原さんは大学での先輩ですし、編集委員の一人矢澤真人君はわたくしの中国語クラスに出てくれていた人ですから、この辞典の記述を信用することにしましょう。身びいきかな?(執筆者:上野惠司 編集担当:サーチナ編集部)(イメージ写真提供:123RF)