(249)“裤子,却万不可脱的”
 ふとんも帽子も上着も売り払ったり借金のかたに取られたり,腹ぺこの阿Qは無一物である。ズボンは残っているが,こればかりは脱ぐわけにはいかない。おんぼろのあわせがあるにはあるが,人にくれてやって布靴の底にでもするのが関の山で,とうてい売って金になりそうもない。そこで阿Qは食を求めるために外へ出かける決心をする。

 未荘(ウェイチュアン)はそれほど大きな村ではないので,いくらも歩かないうちに村はずれまで来てしまった。あたりはほとんどが水田で,見渡すかぎり苗の若緑である。この箇所,原文にはこうある。

  村外多是水田,满眼是新秧的嫩绿,夹着几个圆形的活动的黑点,便是耕田的农夫。

(250)“毡帽”丸い黒いもの
 上の文の後半,「その間にいくつかの丸い黒いものが動いているが,これは田を耕している農夫である」くらいの意味であるが,「丸い黒いもの」が農夫であるとは,どういうことでしょうか。

 先に“毡帽”(フェルト帽)について紹介した時に,これが黒い色をしていて紹興の労働者のトレードマークであると記しましたが,ここにいう「丸い黒いもの」とは,まさにこの“毡帽”に違いありません。

 もう一つ気になる箇所があります。“耕田的农夫”の“耕田”です。「田を耕す」,確かに田は耕しますが,“新秧的嫩绿”,苗を植えたばかりで若緑色を呈している稲田を耕すというのは,ちょっとヘンではないでしょうか。

(251)“耕”は“耘”の誤り?
 このことについて,わが,「わが」はなれなれしすぎるかな?わたくしが魯迅の小説を読むうえで最も頼りにしている周遐寿氏(魯迅の実弟・周作人の筆名)は,その《鲁迅小说里的人物》において,“耕”は“耘”(除草する)の誤りではないかと指摘しています。

 さて,食を求めて歩いているうちに阿Qは,とうとう静(ジン)修(シウ)庵(アン)の塀の外まで来てしまいます。この静修庵というのは,先に若い尼さんをからかって,逆に“断子绝孙的阿Q”(跡取り無しの阿Q)という手痛いしっぺ返しを食わされたあの尼さんのいる寺院です。
 あたりを眺めたが誰もいません。そこで阿Qは土塀を這い上がって,桑の木の枝につかまって畑の中へ飛び降ります。

(252)4本の大根?4個の大根?
 何か食べられるものはないかと畑の中を見回した阿Qの目に一畝(うね)の大根が留まります。早速しゃがみこんで抜きにかかりますが,突然,例の若い尼さんがまるい坊主頭をのぞかせます。あわてた阿Qは4本の大根を抜きとると,葉っぱをもぎとって,懐へしまいこみます。

 この「4本の大根を抜きとると」に対応する箇所の原文は“拔起四个萝卜”ですが,この訳でよいのかどうか,おおいに不安です。或いは「4個の大根」とすべきかもしれません。ご存じの方も多いかと思いますが,中国の大根は長いのもありますが,どちらかと言えば球形のものが多いようです。だとすれば,「4本」ではなく「4個」ですね。
 ちなみに,わたくしの手元にある数種の日本語訳はすべて「4本」です。(執筆者:上野惠司 編集担当:サーチナ編集部)(イメージ写真提供:123RF)