(241)“仇人相见、分外眼明”(続)

 仇同士が出会った時は決して相手を見逃すことはないという意味のことわざ“仇人相见、分外眼明”は、元代の戯曲や明清の小説類に頻繁に出てくる。“眼明”(目ざとい)は“眼红”(目が血走る)であったり、“眼睁”(目を大きく見開く)であったり、また『金瓶梅』中の用例のように、“仇人见仇人、分外眼睛明”と全体の字数が増えたりするが、このように類似したさまざまの言い換えが見られるのは、ことわざや慣用句の常である。

 また、上の句がすでにことわざとして用いられていることは、これらの句がしばしば「ことわざに曰く」式の“常言”“常言道”などの語を冠して引かれていることによってもわかる。

(242)“我是虫豸”おいらは虫ケラさ

 さて、仇同士の阿Qと小Dが銭家の門前でばったり出会った。

 阿Qが向かって行くと、小Dも立ち止った。

 “畜生!”こんちくしょう!阿Qは口から唾を飛ばしながら、睨みつけて言った。

 “我是虫豸、好吗?……”おいらは虫ケラさ、いいだろ?小Dのこの謙遜が、逆に阿Qの怒りをいっそうつのらせた。“虫豸”(chong2zhi4チュウチ)というあまり見かけない語は、虫類の総称を意味するが、人を見下したり罵ったりするのに使われる。『三国志』の呉志にすでに用例を見る。

 腹を立てた阿Qは飛びかかっていき、手を伸ばして小Dの辮髪(べんぱつ)を握った。小Dのほうも、片方の手で自分の辮髪の根元を押さえながら、もう一方の手で阿Qの辮髪をつかんだ。

(243)“好了、好了!”やめておけ?もっとやれ?

 以前の阿Qから見れば、小Dなど物の数ではなかったが、今の阿Qは飢えのため、小Dに劣らず痩せこけて力がない。かくて力の均衡状態を呈し、四本の手が二個の頭をつかみあって、どちらも腰を引いて、銭家の白い壁に二人の着物が青い虹形を描くこと半時間の長きに及ぶも、結着がつかない。

 “好了、好了!”見物人たちが言う。これはたぶんなだめているのであろう。

 “好了、好了!”こちらはなだめているのか、ほめそやしているのか、もっとやれとけしかけているのか、わからない。

 だが、二人の耳には入らない。阿Qが三歩出ると、小Dは三歩引き、双方立ち止まる。小Dが三歩出ると、阿Qは三歩引き、また双方立ち止まる。

(244)引き分けに終わった“龙虎斗”

 およそ半時間。未荘(ウェイチュアン)にはまだ時計がないので確かなことは分からないから、或いは二十分かも知れない。二人の頭からは湯気が立ち、額には汗が流れる。阿Qの手が緩むと、同じ瞬間に小Dの手も緩んだ。同時に腰を伸ばし、同時に後ろへ下がり、双方とも人垣をかき分けて入った。

 “记着吧、妈妈的……”覚えてろ、こんちくしょう!阿Qが振り向いて言った。

 “妈妈的、记着吧……”こんちくしょう、覚えてろ!小Dも振り向いて言った。

 この一場の「竜虎の闘い」はどちらも勝ち負けなしであったが、はたして見物人たちが満足したかどうかは分からない。

 だが、阿Qには相変わらずどこからも日雇いの仕事を頼んでこない。(執筆者:上野惠司 編集担当:大平祥雲)(イメージ写真提供:123RF)