(213)親指と人差し指がどうもヘンだ
“飘飘然”としてねぐらの土地廟に舞い戻った阿Qだが,ふだんとは違って,この晩はなかなか寝つけない。親指と人差し指がどうもヘンで,すべすべするのだ。
 不知道是小尼姑的脸上有一点滑腻的东西粘在他指上,还是他的指头在小尼姑脸上磨得滑腻了?・・・(若い尼さんの顔になにかすべすべしたものがあって,それが指にくっついたのか,それとも尼さんの顔をこすったせいで指がすべすべになってしまったのか・・・。)
 “断子绝孙的阿Q”
阿Qの耳に,またもこのことばが聞こえてきた。

(214)尼僧の顔が布でおおわれていたならば
 もし若い尼僧の顔がすべすべしていなかったならば,阿Qは惑わされずにすんだであろうし,もし尼僧の顔が布でおおわれていたならば,やはり阿Qは惑わされずにすんだであろう。女はまったく憎むべき存在である。
  他五六年前,曾在戏台下的人丛中拧过一个女人的大腿,但因为隔一层裤,所以此后并不飘飘然,――而小尼姑并不然,这也足见异端之可恶。(5、6年前のこと,彼は芝居の舞台下の人込みに紛れて女の尻をつねったが,その時はズボン越しであったので,あとでふわふわした気持ちになることはなかった。――ところが,尼さんはそうではなかった。このことからも,異端の憎むべきことがわかる。)

(215)“隔一层裤”ズボンの助数詞は?
 本題から外れるが,本題と言えるほどのものであるかどうかは疑わしいが,上の文を引いていて面白いことに気づいたので記しておく。
 「ズボン越しで」と訳した“隔一层裤”である。入門時の中国語の時間にズボンを数える助数詞は“条”(tiáo)であると習う。ところがここでは“条”ではなく“层”(céng)を使っている。魯迅がイヌもネコもニワトリも“匹”(pǐ)で数えるなど,時々ヘンな助数詞の使い方をすることは,いつか述べた。が,ここはヘンではない。ヘンでないどころか,はなはだ巧みである。
 ここではズボンを通常の数え方で1本,2本ととらえるのではなく,阿Qの指と女の“大腿”(ふともも――尻としたのは意訳)とを隔てる遮蔽物としてとらえているのである。

(216)“盖一层布”布の助数詞は?
 “层”を《现代汉语辞典》で引くと,“用于重叠、积累的东西”(重なったり,積み上げたりした物に用いる)とある。一層,二層・・・と,層をなすものに使われると理解していいだろう。
 原文を引かなかったが,上の「もし尼僧の顔が布でおおわれていたならば」の箇所も“假使小尼姑的脸上盖一层布”とあり,ここでも布を遮蔽物としてとらえ,“匹”(pǐ)や“幅”(fú)や“块”(kuài)ではなく,“层”を用いている。
 一般には“个”で数える人間を細長い物としてとらえ,“条”で数えたりもする。
  第一个该死的是小D和赵太爷,还有秀才,还有假洋鬼子,・・・留几条么?(まっさきに片づけるべきは小Dと趙(チャオ)の旦那だ。それから秀才と,それからにせ毛唐,・・・何匹か残してやるか。)
(執筆者:上野惠司 編集担当:大平祥雲)(イメージ写真提供:123RF)