(197)なぜか日本でも爆発的人気
 先に書いたように“何日君再来”は1939年制作の抗日映画『孤島天堂』の挿入歌として歌われたものが人気を呼んで,急に流行したらしい。歌詞もメロディーも多分にラブソング的な甘い歌であるが,それでも抗日映画の挿入歌であるからには,中国で大流行したとしても不思議ではないが,どういうわけか日本でも爆発的人気を呼んだという。
 豊満な肢体をチャイナドレスに包んだ渡辺はま子がこの曲を歌ったのはいつか正確にはわからないが,或いはわかっているけれどわたくしが知らないだけかもしれないが,例の「支那の夜」を彼女が初めて歌って人気を博したのは1939年の前年,昭和13年とのことであるから,“何日君再来”も翌昭和14年か翌々15年,すなわち中国での流行後,間をおかずに歌われたに違いない。

(198)わたくしは「何日君再来」や「夜来香」「蘇州夜曲」を聴きながら育った?
 戦後も歌い継がれた,そして今もカラオケなどでナツメロの定番とし歌われている「夜来香(イエライシアン)」「蘇州夜曲」「桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン」などの諸曲をはま子が歌ったのは,同じく昭和14、15年頃のことらしいから,わたくしは子守歌と共にこんな歌を耳にしながら幼時を過ごしたのかもしれませんね。もっとも記憶として残っているのはもう少し後,終戦前後の頃からのような気がしますが……。
 抗日映画の挿入歌でありながら日本軍や日本国民の間でも愛唱されたり,甘いラブソングでありながら(というのはわたくしの独断かもしれませんが),恋人を指しているはずの“君”が同音の“军”に通じるところから「政治」に弄ばれたりと,話題性に富んだというか,それなりに「厄介」な“何日君再来”であるが,それらを語るにはわたくしの知識は貧弱すぎる。

(199)またもや「尻切れとんぼ」
 どうやらまた「尻切れとんぼ」で終わりそうだ。いや,もう終わってしまっているかな?もとはと言えば,唐詩の「花發多風雨,人生足別離」を「ハナニアラシノタトヘモアルゾ,『サヨナラ』ダケガ人生ダ」とした井伏鱒二の訳筆のみごとさにひかれて脇道にそれたのでした。
 “何日君再来”はその脇道のさらに脇道ですが,歌中の“今宵离别后,何日君再来”も,“人生难得几回酔,不欢更何待”もいい句だと思いませんか。井伏さんならどう訳すでしょうね。
 中国で“何日君再来”を歌った藜(リー・)莉(リ)莉(リ)や周(チョウ)璇(シュアン)は,この歌を歌ったことで(?),苛酷な人生を歩むことになりますが,彼女らの運命については先年亡くなった作家の中薗(なかぞの)英助(えいすけ)さんに詳しい紹介があります。書名は『何日君再来物語』,いま手元にありませんが,河出文庫に入っているはずです。

(200)中薗さんの本をお勧めします
 中薗さんは福岡の人で,北京に遊学,戦時下の北京で記者生活をしながら文筆活動に従事した人です。どちらかと言えばマイナーな作家で,残された作品ほどには名を知られていないようですが,隠れたファンは結構いるようです。わたくしもそのうちの一人ですが……。
 関心をお持ちの方は上の『何日君再来物語』か,読売文学賞を受けた連作集『北京飯店旧館にて』(筑摩書房,1992年),その続集『北京の貝殻』(同,1995年)あたりから読み始められることをお勧めします。通行の中国近代史や日中交流史の本からは得ることのできない感動と発見があること請け合いです。(執筆者:上野惠司 編集担当:大平祥雲)(イメージ写真提供:123RF)