日本人は英語が苦手。平均的に見れば、そう言われてもしかたないだろう。中国人も不思議に思っている。科学技術も学問も自国の先を行く日本が、英語力ではパッとしない。中国メディアも理由をさまざまに分析しているが、どうも見落とした部分があるようだ。

 中国メディアの広州日報は「島国であり隣国との交流が少なかった」、「大脳の構造が違う」、「英語が必ずしも重視しなくなった」などの理由を挙げた。中国メディア鳳凰網寧波はさらに日本語の音節構造が英語などに比べて単純であることなども挙げた。

 なお、「日本人は大脳の機能が違う」は、東京医科歯科大学名誉教授の角田忠信氏が1970年代に発表して有名になった説だが、否定論も強い。それ以外の「島国原因説」、「発音原因説」などはそれぞれ一理あるかもしれない。

 ただし、中国メディアは今のこところ、日本では幕末から明治期にかけて、欧米語の翻訳が猛烈に行われたことに言及していない。当時の日本人の漢字能力は相当に高く、西洋から新たに取り入れた物品や概念を、次々に日本語化した。漢字を使ったわけではあるが、日本語読みをして日本語の文に組み込んで使ったので「日本語化」と言ってよい。

 電気、物理、化学、文学、政治、人民、共和国などすべて、当時の造語または中国の古典から取り出して新たな意味を与えた語だ。アジアやアフリカでは、英語など欧州の言語を用いなければ、中等教育以上は困難という国もあったが、日本では外国語以外の教科は自国語で十分に教えられる状況になった。さらに欧米列強の植民地になったわけでもなく、英語などを学ぶ必要の「切実さ」には乏しかった。

 次に、和製英語を含む「カタカナ語」の導入が目立つようになった。「カタカナ語」は基本的に日本語の文に組み込まれて使用されている。はるか昔に、「やまとことば」しか知らなかった日本人が、中国語の単語を自分らの言葉に組み込んでいった作業を再現していると言ってよい。中国メディアはどうも、日本人は外来文化に接した際に、日本語を猛烈に「改良」する努力をしたからこそ、逆に外国語を学ぶ必然性に乏しくなり、だからこそ「英語が苦手」という現象が発生したしまったといういきさつには気づいていないようだ。

 ただし、自国語を大きく改良したことは、日本人にとって「誇れる歴史」であるはずだが、戦後になってからの「カタカナ語」の氾濫には、「必要もないのにカタカナ語を多用」、「意味も分からず乱用」との批判がある。カタカナ語や英語の偏重は、外国文化に対する「漠然とした崇拝感情」や「日本語の完成度や価値を学ばず、知らない」ことが原因との指摘もある(言語学者の鈴木孝夫氏)など。

 鈴木氏は日本は海外における日本語普及に力を入れるべきと主張している。鈴木氏によると、日本語には欧州の言語などとは異なるが精密な論理性があり、表現や伝達能力は極めて高い。さらに、1億の人口は欧州のほとんどの国より多く、経済規模も大きい。鈴木氏は、日本語を使える外国人を増やすことは日本そのものや日本の主張、日本の考え方を理解する人を増やすことに直結するので、日本の国益にとって極めて重要との考えだ。

 たしかに、日本人は外国語能力をもっと向上させた方がよいかもしれない。しかし、日本人が外国語の学習に努力すれば、「それでこと足れり」というのもおかしな話だ。鈴木氏が主張するように、日本語を理解する外国人が増えてくれれば、全世界で「知日派」が増えてくれるはずだ。日本人にとって「どうしてこんな当たり前のことを、世界の多くの人は理解してくれないのか」と思えることは多い。そんな残念な状況が減ることは、日本人として大いに歓迎できるはずだ。

 日本の周辺地域を見ると、中国や韓国は自国語や自国文化の世界的普及に、極めて熱心に取り組んでいる。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)