戦前、日本統治下の台湾南部。まだ1勝もしたことのない(旧制)中等学校野球部チームが、新任の監督に率いられ、甲子園大会で準優勝にまで進んだ。漢人(中国系住民)、台湾原住民(解説参照)、日本人の3つの民族が入り混じりながら「球児としての栄冠」を目指す。24日に日本全国公開が始まった映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』だ。(写真提供、(C):果子電影)

 作品の背景は、極めて複雑だ。日本が統治を始めて、すでに30年以上が経っていた。しかし、台湾社会が完全に安定したわけではない。前年の1930年には、原住民のひとつであるセデック族が蜂起し、日本人とセデック族の双方に大量の死者がでた霧社事件が発生している(解説参照)。近藤兵太郎監督に率いられた嘉義農林学校(嘉農)チームが甲子園を懸命に目指していた時期に発生した事件だ。『KANO』では直接描かれていないが、チームに動揺はなかったのだろうか。

 近藤監督の信念により、嘉農チームは完全な実力主義で試合に出る選手を決めた。民族差別は一切なかったと、後年になり当時の選手は証言している。『KANO』で描かれる1931年の甲子園準優勝時のレギュラー選手は日本人3人、漢人2人、原住民4人だった。作品中で近藤監督は、「蕃人は足が速い。漢人には攻撃力がある。日本人は守備がよい」などと語り、さまざまな長所を持つ選手が一丸となることこそ、強いチームを作れる原動力と強調している。ちなみに、嘉農チームは準々決勝の札幌商戦では8盗塁を成功させるなど、俊足さで突出したチームでもあった。

 作品は、日本の統治を「理想化」しているわけでない。台湾人を見下し差別発言をする、「地位ある日本人」や新聞記者も登場する。近藤監督についても、「完璧な人間」としては描いていない。もちろん、全身全霊を込めての指導、さらに、夜には選手らが寝静まった後にグラウンドで小石拾いをしたり、寝ている選手に布団をかけ直してやる様子など、「理想的な監督」としている。しかし決して「完璧な人間」とはしていない。

 例えば近藤監督は予算獲得の難しさという現実に直面し、鬱憤(うっぷん)のあまり接待の席で大酒を飲む。帰宅するつもりが嵐の中、用水路で寝てしまう。下手をしたら命を落としかねない「危険行為」だ。選手に厳しい自己規制を求めながら、自分自身が失敗することもある。作品は近藤監督を、そんな「生身の人間」としても描きたかったようだ。

 もうひとつは選手による試合中の「歌」だ。台湾では、自軍選手を応援するためにベンチにいる選手が歌を歌う習慣があるという。近藤監督は着任当初、「試合中に歌なぞ歌うな」と言って、厳しくたしなめる。しかし最後の最後になり、選手らの気持ちを理解する。近藤監督は「心の野球、魂の野球」を求めていた。そして、台湾の選手にとって歌による応援は「魂の野球」の一部だったと気づく(解説参照)。同作品は別のシーンでも、嘉農チームの成長は、近藤監督にとっても成長だったと訴えている。日本人の一方的な指導だけでチームが育ったとの表現はしていない。

 同作品は馬志翔監督による。そして製作総指揮や脚本はウェイ・ダーション(魏徳聖)氏だ。ウェイ氏は霧社事件を扱った「セデック・バレ」では監督を務めた。そして、「(霧社)事件はよくないことだった」と述べた上で、歴史的な悲劇を直視してこそ、当事者や子孫が前向きにつきあうことができると主張した。

 ウェイ氏は監督を務めた「セデック・バレ」でも、日本人を一方的に批判してはいない。現地社会の向上のため、献身的に尽くす日本人も登場する。傲慢で高飛車であり、日本軍人の典型のように描かれた人物に、セデック族について「われわれが失った(高貴な)精神を持っていた」と語らせてもいる。このひと言で、単純な「悪役としての性格づくり」からは一線を画すことになった。「憎い敵ではあっても、素晴らしい点は率直に認め、称賛する」という、より重厚な人物描写になった。

 人、そして人の行いにはよいものも悪いものもある。人物を善玉・悪玉と単純に分類したのでは、理解を誤ってしまう。それがウェイ氏の考え方だ。そして、この考え方は『KANO』でも十分に発揮されている。

 考えてみれば、中華文明圏の歴史観には、2つのはっきりとした流れがあるのではないだろうか。ひとつは司馬遷の「史記」に代表される、「とにかく事実を直視する」という考え方だ。「史記」は登場人物を「完全な悪玉」とする描き方を、ほとんどしていない。逆に、例えば漢の高祖(劉邦)という、司馬遷が生きていた漢代の“神君”とでも言うべき人物についても、容赦なく欠点を指摘している。

 中華文明の歴史観のもうひとつの流れとして「善悪を決めてしまい、それに沿って歴史を解釈する」場合がある。価値観をはっきりさせて歴史を理解することは、かならずしも悪いこととは限らないが、このような歴史理解では「ご都合主義」や「強引さに満ちた歴史理解」が発生しやすい。

 歴史に対するウェイ氏の取り組み方は「とにかく事実を直視する」だ。したがって『KANO』についても、当時の日本統治、そしてその後の歴史を振り返りつつ同作品に接すれば、日本人としてどうしても「ほろ苦さ」を感じることになる。例えば、作品冒頭、そして作品中で何度か繰り返される回想シーンだ。

 『KANO』は台湾球児の可能性を信じ、全力で育成に取り組んだ日本人と、それに見事に応えた台湾球児の感動の物語だ。しかしそれだけではない。少なくとも日本人にとっては、その後の歴史で自らが傷つき、台湾人も大きく傷つけてしまったという「苦さ」を感じざるをえない作品だ。

 ちなみに、『KANO』で描かれている甲子園出場選手のうち、日本人選手2人は太平洋戦争で戦死したとされる。回想シーンで登場するのは、嘉農と甲子園の準々決勝で戦って敗れた札幌商業の錠者博美投手だ。すでに軍人となった錠者投手は立ち寄った台湾で、嘉農のグラウンドを訪れる。もうそこに、野球に励む球児らはいない。

 実際には錠者投手が出征の途中に台湾に立ち寄った史実はないという。赴いた先は中国大陸だった。そして、錠者投手も再び、生きて日本の土を踏むことはなかった。

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 本作は、『海角七号 君想う、国境の南』、『セデック・バレ』のウェイ・ダーションがプロデューサーを務め、長編映画初監督となるマー・ジーシアンにメガホンを託した。野球部監督・近藤兵太郎を演じるのは、永瀬正敏。近藤の妻役には坂井真紀、特別出演として大沢たかおが水利技術者・八田與一役を務める。

 台湾では空前の大ヒットを記録。栄誉ある映画賞である金馬奨では、永瀬正敏が日本人初となる主演男優賞にノミネートされたほか主要6部門でノミネートされ、観客賞・国際映画批評家連盟賞を受賞するなど高い評価を受けた。

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◆解説◆
 台湾原住民は、17世紀ごろに中国大陸から漢人(中国人)が移住してくる前から、台湾に住んでいた人々を指す。言語も文化全般も、漢人とは別系統の人々だ。中国語では当初「蕃」あるいは「番」の文字を用いて、漢化が進んだ人々を「熟蕃(熟番)」、独自の風習を色濃く残す人々を「生蕃(生番)」、平野部に住む人々を「平浦蕃(平浦番)」などと呼んだ。

 日本も当初は、中国語による呼称を踏襲したが、1935年から山間部に住む人々を「高砂族」、平地に住む人々を、「平浦族」と呼ぶことにした。『KANO』は1930年ごろから31年までを扱った作品なので、近藤監督も「蕃人」との呼称を使ったと理解できる。

 台湾では戦後「山地同胞」などの呼称が使われるようになったが、1980年代からの「原住民権利運動」により、「原住民(台湾原住民)」の呼称が正式に採用された。日本でよく用いられる「先住民」との呼称は中国語では「かつては存在したが、今はいない」とのニュアンスが出てしまうため、用いられない。「原住民」は「もとからいた人々」の意味になり、「権利を認め、保証すべきだとの考え方につながる。

 なお、馬志翔監督はセデック族などの血を引く原住民。本来の名はウミン・ボヤ(Umin Boya)。1968年生まれ。出身地は台湾東部の花蓮県。

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 「霧社事件」は台湾の中部山岳地帯にある霧社の学校で開催された運動会を原住民のひとつであるセデック族が襲撃して、日本人約140人を殺害した事件。日本側は軍も投入して報復的鎮圧を実施。セデック族側は約700人が殺害されるか自殺した。

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 台湾の野球チームがベンチで「応援の歌」を歌うようになった起源については明らかでないが、台湾原住民の古くからの習慣に関係していると考えられる。

 台湾原住民には、多くの民族が存在する。政府がこれまでに認定した民族だけでも14民族がある。それらの民族の多くで歌、特に合唱は伝統文化の中で高い地位を占めてきた。合唱は、人々の心を統一し、さらに心をどこまで統一できたかとの完成度を知るための重要な手段とされた。

 日本人の民族音楽学者である小泉文夫氏は台湾原住民から聞いた話として、「かつて部族を挙げて首狩りをする際には、その前に必ず皆で歌った。ごくわずかにでも音が合わないと、『今日は皆の心がそろっていない。戦っても負ける』として、出撃を見合わせた」と報告した。

 しかも彼らは、音を最も澄みきって響かせる「純正律」の完璧な音感を持っていたとされる。現代の楽器ではたとえばピアノの場合、「さまざまな種類(調性)の楽曲を自由に演奏できる」という目的のために、響きの美しさをかなり犠牲にする「平均率」で調律することが一般的だ。「首狩りの前の歌」で心の統一を判断していた台湾原住民族の場合、西洋音楽の代表的な楽器のひとつである「ピアノ」の演奏を聞いても、「こんな濁った音ではどうしようもない」と判断する、音に対して極めて繊細な感受性を持っていたことになる。

 馬志翔監督によると、『KANO』で選手らが仲間を応援するためにベンチで歌う歌は、原住民のひとつであるアミ族のメロディ用いたという。まさに、原住民族としての本来の名であるウミン・ボヤ監督の「血」が、名シーンのひとつと生み出したと言える。(編集担当:如月隼人)