上海市に拠点を置くインターネットメディアの澎湃新聞は4日「“超特急”あじあ号:80年前の中国最速の列車は日本人が作った」と題する記事を配信した。あじあ号の豪華さや性能を強調し、その後の新幹線建設のきっかけの1つにもなったと論じた。読者からは「日本人はよいものを作る」、「(旧満州国領域の)東北人はやみくもに日本人を恨んだ。台湾人とは違うな」などの声が寄せられた。

 同列車を走らせた南滿洲鉄道(満鉄)は「中国の東北地方で植民地開発を実行するための組織」と紹介。満洲国についても中国の通例に従って「偽満州国」と表記したが、日本をとりたてては非難・批判しなかった。

 あじあ号については、満鉄が「世界の標準を凌駕する」ことを目的に、費用を惜しまず開発したと紹介。「大陸の黄砂を防ぐための完全密閉式の車両」「客車は空調完備」、「二重窓で騒音を遮断」、「車両にはマグネシウムやアルミ合金も使い、高速と軽快さを実現」など、特長を多く取り上げた。

 展望車や食堂車も詳しく紹介。メニューや食器類についても触れた。あじあ号の印象的な蒸気機関車「PASINA」の流線型の外観は当時の川西飛行機が風洞実験で空気抵抗を測定したと紹介。PASINAの最高時速は140キロメートルだが、軌道に震動が発生するため営業上の最高時速は130キロメートルだったことにも触れた。

 記事はあじあ号と新幹線の関係についても言及した。当時の日本の鉄道省は満鉄とライバル関係にあり、1939年には「弾丸列車」構想を打ち出した。さらに1940年には東京と下関を結ぶ「新幹線」建設が始まった。

 太平洋戦争激化にともない「新幹線」の建設は中断したが、戦後になり改めて新幹線開業に向けた技術研究と建設が着手された。

 記事は、「新幹線の生みの親」と呼ばれる十河信二国鉄総裁(1884-1981年)にも触れた。「1930年代には南満州鉄道の理事を務め、高速列車アジア号の誕生にも関係した」、「東京駅の18-19番線ホーム端では今も、彼の記念碑を見ることができる。碑には『一花開、天下春』の文字がある」などと紹介。

 中国では多くの場合、旧満州国において「官」、「軍」あるいは両者に準じる立場で活動した人を批判的に扱うが、同記事は十河氏に対する批判はせず、むしろ記念碑の写真を掲載するなどで、鉄道建設の功労者として扱った。

 同記事には、日本を紹介するコメントが多く寄せられた。「文明と文字は中国から日本に伝わった。科学技術は日本から中国に伝わった。中国が遅れを取って長い時間がたつ」、「日本の製造技術は極めて高い。争う余地のない事実だ。日本は中国で(他にも)高速鉄道を建設する計画があったと言うが、第二次世界大戦で中国が亡国の目を見ていたら、もっと早く全国の高速鉄道が出来ていた!?」などの意見がある。

 「東北人はやみくもに日本を恨んでいた。その結果が今日の経済停滞だ」などとする書き込みには「台湾人とは違うな」との返信が寄せられた。

 満鉄の建設は軍事費を稼ぐためとする書き込みもあるが、日本の過去を批判する意見は目立たない。

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◆解説◆
 澎湃新聞は上海報業集団が発行する東方早報の姉妹メディア。時事、政治、思想などの解説記事の多いことが特徴。市場原理導入というメディア分野の改革開放にともなう設立とされるが、一部資金は政府によるとの見方もある。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)