米ワシントンD.Cにある台湾の駐米国経済文化代表処は1日、中華民国が国有資産として保有する同市内のツイン・オークスで中華民国国旗の「青天白日旗」の掲揚を行った。掲揚は、米台国交断絶の前夜だった78年12月31日に「青天白日旗」を降ろしてから36年ぶり。

 2日の掲揚式には、経済文化代表処の沈呂巡代表と夫人を初めとして、代表処職員、その他の台湾当局関係者、現地在住中華民国系住民代表、退役軍人らが出席した。ポールの上端で「青天白日旗」が翻ると、「中華民国国歌」、「国旗歌」を全員で斉唱した。

 沈代表によると、78年12月31日の「青天白日旗」を降ろす儀式にも、外交官として出席した。冷たい小雨の夕方で、その場にいた先輩外交官や華僑関係者など皆が涙を流したという。

 ツイン・オークスは当初、米国人有力者の個人資産だった。現在の邸宅や庭園が完成したのは1888年。1937年からは中華民国が国有資産として、大使公邸などとして使っていた。

 1970年代から世界各国で「中国との国交樹立・台湾との断交」の流れが加速すると、中国政府が新たに国交を樹立した国で、中華民国の国有資産を“接収”する動きが発生した。「中華人民共和国が成立した1949年10月1日までは、中国政府とは中華民国政府だった。その後は、中華人民共和国政府が中国を代表する政府になった。したがって国有財産は中華人民共和国政府が引き継ぐ」との理屈だった。(解説参照)

 ツイン・オークスは現在も経済文化代表処代表の公邸などとして使われている。沈代表は米台国交断絶時には、外交の前途だけではなく、ツイン・オークスの扱いについても心配したと説明。しかしその後は「先輩外交官や華僑などが奮闘し、合わせて米国の友人の協力もありツイン・オークスの財産権も確保できました。少しずつ、各種制限も打破することができました」という。

 沈代表によると、2014年10月10日の国慶日(建国記念日)にツイン・オークスで開催されたパーティーでは前例を破り、出席者一同が米国と台湾双方の国歌を「高らかに歌った」という。

 1日の「青天白日旗」掲揚は午前8時半だった。晴れていたために冷え込み、同時点の気温はほぼ摂氏0度だった。沈代表は厳寒にもかかわらず多くの出席者が集まったことに感謝し、中華民国系住民に「一層の求心力」の発揮を呼びかけた。

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◆解説◆
 中華人民共和国政府と、中華民国(台湾)政府の海外における「所有権」あるいは「当事者としての適格性」を巡って発生した問題しては、日本で発生した「光華寮」訴訟問題がある。

 光華寮の所在地は京都市左京区で、戦前に京都帝国大学が中国人留学生のために用意した学生寮を台湾政府が1952年に買収した。1960年代に、文化大革命を支持する中国人入寮者が出たため、学生間の対立が発生。台湾政府は中国人入寮者の退去を求め、京都地裁に提訴した。裁判は長引き、1972年の日中国交正常化・日台断交により、中華民国政府の「原告としての資格」や「所有権」を巡る問題が発生した。

 京都地裁による一審判(1977年)は、中華民国政府の原告としての資格は認めたが、日本政府が中華人民共和国政府を唯一の合法政府と承認した以上、「中国」の公有財産である光華寮の所有権も中華人民共和国に移転するとして、原告(中華民国)の請求を棄却した。

 大阪高裁による二審(1982年)は、「政府承認の切り替えによって中華民国が取得した光華寮の所有権が消滅することはない」として、原判決を破棄、一審に差し戻した。差し戻しの一審、差し戻し後の控訴審はいずれも中華民国側の主張を認めた。

 最高裁は2007年になり、「日本政府は中華人民共和国政府を承認した」ことなどを理由に「中華民国はもはや本件訴訟の原告当事者ではない」として、日中国交正常化以降の審理をやり直すべきとして、京都地裁からの差し戻しを言い渡した。最高裁は被上告人の表記を「旧中華民国 現中華人民共和国」などと変更した。

 「光華寮」訴訟問題は現在も、決着をみていない。(編集担当:如月隼人)