周福康さん、92歳。浙江省杭州市蕭山の出身。かつて抗日戦争で日本軍と戦った。日本の投降にともない、周さんの部隊は台湾接収の任務にあたることになった。そこで、日本人女性と知り合った。2人は恋に落ちた。しかし、周さんの部隊は中国に引き上げた。兵士である以上、周さんも従わざるをえない。しかしその後も、恋人だった日本人女性を忘れたことはない。周さんの生活は苦しい。しかし、恋人とすごした日々を思い出すたびに、「私の一生は、とても幸福でした」と思えるという。人民日報系のニュースサイト、人民日報などが報じた。

 記事は、終戦後の周さんの人生についてには触れていない。しかし「日本人女性と交際していた」とはとても言えない時代が長かったはずだ。周さんは生まれ故郷の蕭山で、今も働いている。廃品回収業だ。生活のために、働かざるをえない。毎日、悪臭を放ち不衛生な廃品を扱う。ペンキなど揮発性の可燃物も扱う。事故で、やけどなどをすることもある。

 それでも周さんは、自分の境遇を前向きに受け止めている。「廃品回収の仕事は体を使うからね。筋骨だってしっかりしているだろ」と、少々自慢げだ。

 日中戦争の時代、周さんは17歳で兵士になった。福州防衛戦などに加わったという。日本の投降後、周さんの部隊は台湾接収の任務にあたることになった。台湾で、日本人女性と知り合った。小学校の教員だったという。2人は恋におちた。

 先に周さんの部隊が大陸に引き上げることになった。周さんも台湾を去らねばならなくなった。兵士であるからには、脱走は許されない。

 その後、恋人の女性がどうなったかは分からない。通常なら、日本に引き上げたはずなのだが。

 周さんはその後、連隊の教官になった。階級としては中尉になった。日中戦争時、共産党軍は八路軍などとして形式的に国民軍の一部となった。しかし、台湾に派遣されたことから、周さんの所属部隊は共産軍ではないはずだ。とすれば、その後の国共内戦時はどうだったのか。最後まで国民軍として戦い、台湾に脱出する機会を得られず、投降したのか。

 いずれにしろ、周さんが巨大な歴史の渦に巻き込まれ、過酷な運命をたどったことは容易に想像できる。今でこそ、国民党の兵士として日本と戦った人も「抗日の英雄」などともてはやされるが、文化大革命終了時ごろまでは「国民党のスパイ」の疑いをかけられてもおかしくはなかった。

 そして、92歳になった現在も仕事をしていることからも、楽な人生ではなかったと分かる。周さんが結婚したかどうかは、伝えられていない。しかし息子も娘もいなくて、ひとり暮らしという。

 周さんは、つきあっていた日本人女性のことを、いつも思っている。日々の生活は苦しいが「2人で一緒に過ごしたあの時を思い浮かべると、私の一生はとても幸せだったと思えるんです」という。

 周さんは取材の記者に、自分が紙に書いた文字を示した。女性の名と、「あなたはどこにいますか?」と書かれている。女性から習ったのだろうか、ひらがなもしっかりとしている。

 69年前に別れざるをえなかった恋人と会いたい。周さんはそれだけを願っている。(編集担当:如月隼人)