中国の習近平国家主席は21日、訪問先のモンゴルで同国のエルベグドルジ大統領と、両国関係を全面な戦略的パートナーシップに格上げすることで合意した。双方は、両国が友好的な隣国であり、互いに助け合い、相互信頼を増強し、協力を強めることで一致した。

 エルベグドルジ大統領は、今年(2014年)は両国が国交を樹立して65周年と指摘。習近平主席を、モンゴルにとって「最も尊貴な客人」と表現し、今回の訪問には「歴史的意義がある」と評価した。また、同国新聞に掲載された習主席の文章中にある「両国は相互に信頼する責任ある隣国であり、よいパートナーでありよい友である」という表現を「全面的に賛成する」と述べ「モンゴル・中国関係は新たな段階に上昇した」と述べた。

 習主席は今後の重点としてまず、「両国の政治上の安全についての協力」を挙げた。「モンゴルは台湾やチベットなどに関連する問題で、正確な立場を堅持している」と評価し、「両国の国会や外交部門、政党、国防部門などの対話と交流メカニズムを構築し、利用することを支持する」と述べた。

 さらに資源開発、インフラ建設、金融分野で「三位一体の全体的な計画にもとづく」推進を行うと述べた。

 国際政治においては、国連、アジア欧州会合、上海協力機構、アジア相互協力信頼醸成措置会議などの場において、両国が協調と協力を強めておくと述べた。

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◆解説◆

 尖閣諸島の問題などで対立を続けている日本と中国は、「周辺国」との関係を強化する動きを続けている。モンゴルについては、安倍首相が4月に同国を訪問し、エルベグドルジ大統領と2013年9月に策定した「戦略的パートナーシップのための日本・モンゴル中期行動計画」が進展していることを歓迎することで一致した。

 モンゴル国における対日感情は比較的良好だ。モンゴル国はかつて、モンゴル人民共和国としてソ連の影響下にあった時代、チンギス・ハンが樹立し、アジアの多くの地域を席巻したモンゴル帝国を「侵略主義によるもの」として批判的に扱い、歴史も詳しく教えられなかった。そのため、元朝の時代の知識がなく、「日本とモンゴルはハルハ川戦闘(日本側の呼称はノモンハン事件)以外に戦ったことはない。どちらも長い歴史を持つ民族として、非常に平和的につきあってきた」などと発言するモンゴル人もいる。

 モンゴル人は17世紀からは、清朝の支配を受けるようになった。ただし清朝皇帝は、「チンギス・ハン以来継承されてきたモンゴル大ハーン」との立場でモンゴル民族に君臨した。科挙の制度などで早くから世襲貴族をなくした中国とは異なり、モンゴルは各地域の領主が、それぞれの領地を支配する、日本の江戸時代における「幕藩体制」にも似た体制だった。

 そのため、清朝時代に中国とモンゴルは別の国だった。同一の人物が中国に対しては「清朝皇帝」として、モンゴルに対しては「大ハーン」として君臨したとする主張もある。

 なお、「ハン」とはは一定地域の統治者で「王」に相当。「ハーン(カガン、ハガン)はすべての王に君臨する者で「皇帝」に相当。チンギス・ハンは自らを「ハン」として、「ハーン」の称号は用いなかった。清朝皇帝はモンゴル皇帝の末裔から「大ハーン」の玉璽を譲り受けたとされている。

 モンゴル人の居住地域で南部を中心とする一帯は、清朝による管理が比較的厳格であり「内蒙古」と呼ばれた。途中に砂漠が存在するなどで厳格な管理が難しい地域は「外蒙古」と呼ばれた。ただしモンゴル語の呼称はそれぞれ「オボル・モンゴル(南モンゴル)」、「アル・モンゴル(北モンゴル)」だ。

 中華民国が成立するとモンゴルは独立を宣言したが、中ロの圧力により、中国の宗主権を認めることになった。1922年にはソ連の影響により外蒙古地域が世界で2番目の社会主義国家であるモンゴル人民共和国として独立した。ソ連崩壊によりモンゴル人民共和国は民主化し、1992年には国名をモンゴル国とした。

 「外蒙古」の呼称は「中国中心の地理名称だ」というモンゴル側の反発があるため、現在の中国はモンゴル国を公式には「蒙古国」または「蒙古」と呼んでいる。

 モンゴル国は、面積が日本の4倍程度と広大だが、人口は290万人程度しかない。しかも内陸国であり、中国の意向に反したのでは、国が保てなくなるという現実がある。日本に対しては強い親近感を持つが、中国を差し置いて、日本と接近することは、モンゴル国にとって「ありえない選択肢」だ。日本との関係が「戦略的パートナーシップのための中期行動計画」にとどまり、中国とは「全面な戦略的パートナーシップ」と関係を構築したことも、そのことを物語っている。

 ただし、モンゴル人の多くは、中国人に対して警戒感や不信感を持っている。歴史的背景のひとつとして、中華民国時代に軍部隊がモンゴル人居住地域で襲撃や略奪を繰り返したことがある。部隊は自らを「革命(グーミン)」と名乗ったので、モンゴル語では「ガミン」が盗賊や野盗をあらわす単語が定着した。

 モンゴル国は1990年代、民主化にともない経済が大混乱した。その後の状況好転は、中国の高度成長の恩恵を受けた面が大きいが、中国資本や中国人業者による生活必需品の買い占めで庶民の生活が悪影響を受けたことなどでも、中国人への反発が強まった。そのため、モンゴルでは主に中国人を念頭に、外国人や外国人と密接な関係を持つ自国人を対象とする過激な国粋主義グループが発生した。(編集担当:如月隼人)