中国新聞社は23日付で、米国のモナレックス・ハリウッド・コーポレーションが製作したドキュメント映画「釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)の真相」が24日から中国で上映されると報じた。同作品は「釣魚島が古来から中国領」でるという事実を示すものといいう。製作責任者でもあるクリス・D.ネーベには、チベットの平和解放と発展を賞賛する作品もある。

 モナレックス・ハリウッドは映画作家、プロデューサー、監督として活動するクリス・D.ネーベ氏が1978年に設立した会社。中国新聞社によると同作品は上映時間40分のドキュメント作品で、監督を務めたネーベ氏が「自ら50万ドル(約5120万円)を集め、(他の資本などに頼らず)独立して製作した」という。

 映画は、尖閣諸島の問題だけではなく「日本に歴史を正視して真剣に反省するよう促す」内容で、日本が中国への侵略戦争中に起こした“南京大虐殺”や731部隊による人体実験も紹介している。

 また、1951年のサンフランシスコ条約を締結する際に米国政府が「釣魚島返還という中国の正義の要求をないがしろにしたこと」を批判しているという(解説参照)。

 ネーベ氏は「『釣魚島の真相』の製作には約1年を使いました。作品中に、説得力がある写真や映像資料を多く使っています。私は中国の南京大虐殺記念館や孫中山記念館など現地に行って撮影もしました」と説明した。

 同作品は11日にハリウッドで初上映を行った。ネーベ氏は「西側メディアは中国の釣魚島について非常に多くの否定的報道をしている。正確な報道はこれまで少しもなかった」、「中国各地を旅して、非常に友好的な中国の人々と接触した。中国のさまざまな事業が長足の進歩を遂げていることも見た。西側社会に中国の釣魚島の歴史の真相を知らせるのは私の職責」などと述べた。

 ネーベ氏は「この作品を西側社会のさらに広い範囲に投じたい。米国の公共テレビにおける放送、DVDの製作、アマゾンでの販売などだ」と述べ、作品をモナレックス・ハリウッドの公式サイトでも観賞したりダウンロードできると紹介した。

 ネーベ氏のこれまでの作品には、チベットの“平和解放”とその後の発展を絶賛する「チベットの真実」などがある。

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◆解説◆

 インターネットで公開されている予告編を見る限り、同作品は「尖閣諸島は日本が1895年に、中国に対する攻撃的戦争の後に取った」と主張。日中戦争時の写真については、事実であるかどうか疑われているものもすべて事実として扱い、また、安倍首相が2013年に自衛隊の基地視察を行った際に操縦席に座った戦闘訓練機の機体番号「731」を、第二次世界大戦中の731部隊と関連させて示すなど、歴史と領土、現在の日本の政治風土に関係する中国の見方を“極めて忠実に”採用している。

 尖閣諸島の問題に端を発した日中の対立で、中国は国際世論に訴える方法を、極めて強化するようになった。2013年に安倍首相が靖国神社を参拝した際には、国内外に向け厳しく非難する一方で。中国において反日デモは発生しなかった。

 反日デモに伴う破壊行為があった場合、国際世論が自国にとって不利との認識があり、「宣伝戦に注力」との方針に変更した可能性が高い。尖閣諸島などをめぐり、中国は今後も「歴史問題」と絡めて国際社会における自国主張の浸透に、最大限の力を注ぐと考えてよい。

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 中国と台湾(中華民国)が尖閣諸島を自国領と、政府として主張しだしたのは1971年で、サンフランシスコ条約締結時に“正義の要求”をした事実はない。

 米軍は第二次世界大戦終了後、他の沖縄諸島とともに尖閣諸島の施政権も自らのものとした。尖閣諸島で2番目に大きい久場島と3番目の大正島の全域は米軍の演習場(射爆場)としたが、中国も台湾も抗議していない。

 沖縄が日本に返還されたのは1972年だが、尖閣諸島は主権、施政権ともに日本のものになったが、米軍はその後も久場島と大正島のすべの土地を演習場として保有し続けている。1978年6月以降は両島を利用していないが、それでも両島の土地を保有しているのは米軍だ。中国が米軍および米国に対して「わが領土であり、保有は違法」などの抗議をした形跡はない。

 また、2012年9月11日に尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島を国有地化したことに対して中国政府は猛反発し、各地で日系商店などの破壊や略奪、放火をともなう反日運動が発生したが、中国の立場からすれば「自国の領土に米軍が軍事施設を設けて居座り続けている」という由々しき事態に対する抗議は特に見られなかった。

 サンフランシスコ条約締結翌年の1953年、中国共産党機関紙の人民日報は、「琉球群島人民のアメリカによる占領に反対する闘争」と題した記事を掲載。尖閣諸島を日本名で「尖閣諸島」と表記し、琉球群島(沖縄諸島)を構成する一部だと紹介した。

 1965年10月に中華民国(台湾)国防研究院が出版した「世界地図集第1冊東亜諸国」(初版)では、尖閣諸島が日本領として扱われている。

 サンフランシスコ条約締結時に、中華民国政府は共産党との内戦に敗れ、すでに台湾に逃れていた。連合国側でも、中国の代表を中華民国にするか中華人民共和国につるかで意見が統一できず、結局は中華人民共和国も中華民国も同条約には署名していない。ただし日本と中華民国(台湾)はただちに、日華平和条約を締結した。

 同条約には日本が台湾、澎湖諸島、新南群島(現、南沙諸島)、西沙諸島のすべての権利などを放棄したことが明記されたが、尖閣諸島は含まれていない。なお、澎湖諸島は台湾から中国大陸側に100キロメートル程度の沖合にある。

 一方で、尖閣諸島は台湾からおおむね北北東方向に170キロメートルの位置だ。地図上からは台湾を中国に返還するなら、同時に中国に引き渡すのが自然と思える澎湖諸島については、条約にわざわざ「返還」と明記し、地図上からは台湾からさらに遠く、位置も「台湾と大陸に挟まれている」つまり「日本寄り」にある尖閣諸島の帰属を同条約に明記しなかった理由を「当然ながら台湾の一部だからだ」と論じるのは、相当に無理がある。(編集担当:如月隼人)