内モンゴル自治区気象局によると、寒気が流れ込んだ影響で、同区北部のフルン・ボイル市内の各所で、この冬の最低気温を更新した。摂氏氷点下46.1度を観測した地域もある。

 9日午前8時現在の気温は、ハイラル市で摂氏氷点下32.5度、ホーチン・バルガ旗で摂氏氷点下33.6度、ヤグシ市(牙克石市)で摂氏氷点下39.4度、ゲゲン・ゴル市(根河市)で摂氏氷点下37.3度、ジャラン・アイル市(扎蘭屯市)で摂氏氷点下26度だった。

 同市内のホーチン・バルガ旗のトニフ試験ステーションでは摂氏氷点下46.1度を観測した。その他、ホーチン・バルガ旗エベンク民族ソム内の各所で摂氏氷点下40度以下を記録した。

 フルン・ボイルは内モンゴル自治区の最北部にある。1939年から同年9月にかけて発生したノモンハン事件はフルン・ボイル地区とモンゴル人民共和国の境界で発生した。

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◆解説◆

 上記地名中にある「旗」は、内モンゴルなどにある地名。清朝時代に定められた「盟旗」制度による。「盟」の下に「旗」が設けられた。「盟」も「旗」も従来は部族を指す概念だったが、清朝政府は各「旗」に放牧地を定め越境を禁じたので、「盟」、「旗」は地名をあらわすようになっていった。「盟」のモンゴル語は「アイマグ」、「旗」は「ホショー」。

 「ソム」(漢字表記は蘇木)は「旗」の下の「村」、「集落」をあらわす。モンゴル語で「矢」と同じで、「遊牧にあたって、他の一族と矢の届く範囲には宿営しない習慣があったことが語源」との言い方がある。

 清朝は長城以南に進出する前に、モンゴルの東部、中部の部族を支配下に置いた。中国制圧に際して、モンゴルの部族は大きな役割を果たした。清朝は強大な軍事力を持つモンゴル民族が大団結するのを恐れ、部族ごとの活動範囲を定めた。

 清朝はさらに、モンゴル民族に仏教を広めるなどで、軍事力をコントロールした。しかし清朝は一方で、南からの漢族の流入を阻止するなど、モンゴル人の生活圏の保護に力を入れ、伝統的な社会制度にも手をつけなかったので、モンゴルの西部部族が清朝傘下に入ることに猛烈な抵抗をした以外、清朝政権とモンゴル民族は、おおむね良好な関係を保った。

 現在の内モンゴル自治区における「盟」は、省の下にある「地級市」と同格とされている。しかし、「盟」を「市」に変更する例が続いたことで、モンゴル民族からは「われわれの伝統を消し去り、漢地化するもの」との反発も出ている。(編集担当:如月隼人)